内容説明
「いかに生きるか」という課題に、どう向き合えばいいのか?異なる文化を生きてきた他者に出会い、共に生きる。そういう社会に、わたしたちは暮らしている。従来の「多文化主義」を乗り越え、対話と協働による新しい「共生」を考える。
目次
高度近代における自己と他者
多民族・多文化社会としての日本
日本人というマジョリティ
マイノリティと差異
多文化主義の台頭とその批判
公定多文化主義―統合と管理の論理
ネオリベラル多文化主義―選別と排除の論理
「流される」不安とグローバルなリアリティ
「やむを得ない措置」という陥穽
支援する根拠について
コスモポリタン他文化主義―「変わりあい」としての共生
怒りと対話について
著者等紹介
塩原良和[シオバラヨシカズ]
慶應義塾大学法学部教授。1973年埼玉県生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科後期博士課程単位取得退学。博士(社会学)。日本学術振興会海外特別研究員(シドニー大学客員研究員)、東京外国語大学外国語学部准教授等を経て現職。専攻は社会学・社会変動論、多文化主義研究、オーストラリア社会研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ハチアカデミー
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単一民族という神話の中での、マイノリティの存在に目をつぶってきた日本社会への問いかけ。超法規定措置、社会を守るためにやむを得ない措置は、一度それが認められると隠蔽されることがなくなり、やがて常態化する。ショック・ドクトリンがそうであるように、ある危機に乗じて法を超える政策が執行されていく。マイノリティへの「やむを得ない措置」はやがて、その範囲を広げていく可能性を保持するのだ。そんな戦時社会をつくらないためにも、他人事としてではない視点から共生を考える必要を説いている。連累というタームも印象に残る。2015/05/12
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「差異の固定化」は、何も人種や性的なマイノリティに対する対応にとどまる話ではないと思う。そう考えると、当たり前のように公定多文化主義になっている価値観も身近な問題としてとらえられる。日本人どうしでさえ差異を認め合えないのに、そう簡単にグローバルだ、ダイバーシティだなんて都合が良すぎると改めて思った。2014/10/16
Confy
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自分は本当に視野が狭いと猛省させられた本。2021/02/24
awe
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「多文化共生」という言葉には、マジョリティの側が許容する範囲内でのみ「多様性」を認め、マイノリティの存在を承認するというパターナリズムが潜む。ではどうしたらよいのか。「日本人/外国人」という二分法に拘泥せず、マイノリティである外国人を社会的に包摂することは結果としてマイノリティである日本人の包摂にも繋がりうることを意識した上での支援・施策が求められるのだという。この部分など、いまいちしっくり来ない部分が多少あったが、それだけこの問題は議論と研究の余地があるということなのだろうか。2018/04/02