内容説明
日本経済再生策がことごとく失敗し、すべての方法論がまったく通用しない現在、もう政策立案を官僚に任せておけない。無党派層からも支持ある四騎の会が、ここに『日本経済サバイバルプラン』を最終提案いたします。
目次
第1章 経済対策は今がファイナルステージ(千四百兆円の個人金融資産を政府はあてにできない;金融危機への対応で先送りは許されない;銀行を助けるだけの資本注入は通用しない ほか)
第2章 日本経済はトータルプランで起死回生する(日本の資本主義のバージョンアップを目指す;不良債権を最低三年以内に処理;究極の一手、ザバイバルファンドで担保不動産を流動化 ほか)
第3章 日本は自立した福祉国家を目指す(赤字財政による景気下支え策の終息;世界に誇れる高福祉社会の仕組み;外交政策にも構造改革が必要 ほか)
著者等紹介
石原伸晃[イシハラノブテル]
1957年(昭和32年)4月19日神奈川県生まれ。慶応義塾高校出身。1978年慶応大学在学中ニューヨーク・エルマイラ大学に留学。1981年慶応義塾大学文学部社会学科卒業、専攻は都市社会学。同年日本テレビ入社。運輸省、外務省、大蔵省など各省庁を担当。竹下首相番記者を経験。竹下内閣の誕生から崩壊までを取材し政治の激動を実感、それをきっかけに政治家を志す
塩崎恭久[シオザキヤスヒサ]
1950年(昭和25年)11月7日大阪府生まれ。東京都立新宿高校出身。高校二年生の時交換留学制度で渡米し自由な教育に触れる。世界的音楽家・坂本龍一氏とは高校生時代から学生運動の中を熱く駆け抜けた仲。1975年東京大学教養学部教養学科アメリカ科を卒業し、日本銀行へ入行下関支店に赴任、担当会社の会社更生法申請などで企業経営の実務を経験。その後IMF、国際機関、G5なども担当。当時日銀外国局長だった上司に勧められ、ハーバード大学ケネディスクールに留学。1982年6月同校行政学大学院卒業
根本匠[ネモトタクミ]
1951年(昭和26年)3月7日福島県生まれ。安積高校出身。1974年4月、東大経済学部卒業後建設省入省。建設省の各局を歴任し、政策づくりをリードする官僚として活躍。当時の内閣官房長官加藤紘一氏が人材を探していたのがきっかけで政策立案力を見込まれて政治家に推挙され退官、福島に戻る。「ゼネコン汚職」「官僚批判」「佐川急便事件」で自民党が逆風の中1993年衆議院議員選挙(中選挙区福島一区)で高位当選。「政策本位の政治で日本は変わる」という信念で若手を中心に派閥レベルを超越した新政策集団を形成
渡辺喜美[ワタナベヨシミ]
1953年(昭和28年)3月17日栃木県生まれ。県立大田原高校出身。当時新人議員だった父・渡辺美智雄氏の話に鋭い衝撃を受け、早くも中学一年生の時政治家を志す。大学時代は父と妹と三人の議員宿舎生活で、弁当づくりをはじめ家事一切を担当。1977年早稲田大学政治経済学部卒業
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