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靖国神社「解放」論―本当の追悼とはなにか?

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  • サイズ B6判/ページ数 297p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784334933869
  • NDC分類 175.1
  • Cコード C0030

出版社内容情報

「脱・靖国」こそ、靖国問題解決への唯一の道。
 2001年以降、靖国神社参拝を続ける小泉首相に対し、中国・韓国をはじめアジア諸国は痛烈に抗議している。「靖国参拝問題」 Yasukuni issue は大きな外交問題であり、ポスト小泉政権の試金石でもある。問題解決を急がねば、日本はアジアで、ひいては世界で孤立していくに違いない。
 昨今、9・11同時多発テロやイラク戦争などでとり沙汰されている「イスラーム原理主義」や「キリスト教原理主義」だが、じつは日本にも「靖国的原理主義」 Yasukuni fundamentalism が存在している。本書では、靖国神社の沿革やその思想を追って靖国神社の本質を考えることで、いかにこの原理主義が日本の伝統からはずれ、戦没者追悼のかたちを歪め、また日本の置かれた状況を閉塞的なものにしているかを明らかにする。
 ここ数年、日本では「靖国問題」について様々な議論がなされているが、そのほとんどが「賛成・反対」「保守・リベラル」といった二元論の域を脱しえない。「靖国問題」解決には、これら二項対立の議論とはまったく違う新たな視点に立つことが必要である。そして、それこそが本書で明らかにする「公共哲学」 public philosophy という視点である。
 いまこそ日本人は、靖国的原理主義という呪縛から解放され、だれもが自由に追悼できる公共的な「新たな追悼と記憶のかたち」を具現化すべきときである。

(※以上、光文社ホームページより)

【目次】
はじめに
序章 なにが問題なのか?
第1章 靖国問題解決のための「公共哲学」
 ――公私二元論の呪縛を超えて
第2章 滅私奉公イデオロギー
 ――靖国の正体
第3章 靖国的原理主義の回避
 ――「戦没者への哀悼」を再考する
第4章 「伝統」を尊重するからこそ反対する靖国参拝
 ――日本人識者による「靖国論争」を再考する
第5章 歴史認識のズレはこうして生まれる
 ――人間の異なる「記憶」を和解させるには
第6章 新たな追悼と記憶のかたち
 ――「精神の自由」「心の問題」という欺瞞
おわりに 「靖国」という呪縛からの解放をめざして
あとがき
英文要約
参考文献
索引

【著者紹介】
1947年東京生まれ。東京基督教大学教授(宗教哲学専攻)。東京都立大学大学院博士課程修了(理学博士)。その後、アムステルダム自由大学哲学部・神学部研究員、客員教授。1990年から現職。主な著書にPhilosophical Theology and East-West Dialogue (Rodopi, Amsterdam and New York)、『公共の哲学の構築をめざして』(教文館)、『宗教と公共哲学』(東京大学出版会)、『宗教から考える公共性』(共編、東京大学出版会)など。主な訳書に『科学時代の知と信』(ジョン・ポーキングホーン、岩波書店)、『宗教の哲学』(ジョン・ヒック、頸草書房)、『科学と宗教』(アリスター・マクグラス、教文館)などがある。

内容説明

靖国問題で立ち往生している日本。保守もリベラルも解決の糸口を見つけられないのは、なぜなのか?いま私たち日本人に問われているのは、ナショナル・アイデンティティなのであろうか?「公共哲学」という視点からアプローチすれば、この問題は必ず解決できる。

目次

序章 なにが問題なのか?
第1章 靖国問題解決のための「公共哲学」―公私二元論の呪縛を超えて
第2章 滅私奉公イデオロギー―靖国の正体
第3章 靖国的原理主義の回避―「戦没者への哀悼」を再考する
第4章 「伝統」を尊重するからこそ反対する靖国参拝―日本人識者による「靖国論争」を再考する
第5章 歴史認識のズレはこうして生まれる―人間の異なる「記憶」を和解させるには
第6章 新たな追悼と記憶のかたち―「精神の自由」「心の問題」という欺瞞
おわりに 「靖国」という呪縛からの解放をめざして

著者等紹介

稲垣久和[イナガキヒサカズ]
1947年東京生まれ。東京基督教大学教授(宗教哲学専攻)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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