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内容説明
やっぱり、事実は小説より面白い!宮本武蔵、千葉周作、真里谷円四郎、植芝盛平…伝説の超人・天才たちの身体感覚が手に取るようにわかる。桑田真澄投手が実践して奇蹟の復活を遂げた「古武術」の秘密とは。現代人が失ってしまった「身体」を復活させるヒントを満載。メスと刀が「身心」の本質へと肉迫する。
目次
プロローグ 古伝の“神技”を再現する
1章 無身―「剣は体も有用なり」
2章 道―刀という物差し
3章 和魂―見せない脳の中身
4章 術―身体感覚を組み直す
5章 修行―オートとマニュアル
エピローグ 身体という「自然」
著者等紹介
養老孟司[ヨウロウタケシ]
1937年、鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業。同大学院博士課程修了。解剖学専攻。’95年春、定年を待たずに東京大学医学部教授を退官。現在、北里大学教授
甲野善紀[コウノヨシノリ]
1949年、東京生まれ。’78年、武術稽古研究会・松声館を設立。「捻らない・うねらない・タメない」という独自の技法と理論に基づいて、剣術・槍術・杖術・体術等の武術を研究・指導している。最近は、古武術の指導により巨人軍・桑田真澄投手を復活させたことで有名
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
姉勤
18
身体性をテーマ(?)に武術家と解剖学者の対談集。 合理主義の現代の出力だけを高めるトレーニングでは、いづれ限界に行きつき、力の作用点は変わらないため、簡単に捌かれてしまうとの事。 古武術は、稽古によりオートマチックで身体を動かすフォーマットを、意識下に置いて一旦組み直してマミュアル化し、更にオートできるまで訓練する事で超人的な働き(術)を得るという。 達人が、具体化言語化を放棄して奥義が「無」とか「円」観念化する理由や 便利になっていく事で失われていく肉体性についても興味深い。2013/04/07
安国寺@灯れ松明の火
13
副題の通りの「身体」論で、「オートとマニュアル」の章が印象的でした。考えてみれば「マニュアル」は面白い言葉で、「オート」と対になる場合は「コンピュータや電子機器によらない、人間による」という意味ですが、「作業手順をまとめた文書」という意味でも使われます。本来、自動化されない「人間」の頭を含んでいたものが、「マニュアル人間」という言葉が示すように、局面を限定して言語化することでかえって頭の硬直化を招く場合があるのも皮肉な話といいますか。やはり両方大切で、「居つく」のはタブーということになりそうですね。2014/04/19
大先生
11
難しいけど面白い!【江戸期に剣術から身体性が失われ、一種の教養としての剣術になっていった。その過程で具体的な技とか術が失われることになったが、実はその背後に「禅」の思想が関わっていた…。】【白隠禅師は、禅で神経衰弱になったのに、そのうち悟って病気が治った。禅は病気に効く!などと吹聴して回ったが、これぞマッチポンプ!】…禅について、そういう見方もあるんですね。勉強になりました(笑)日本人が精神論に傾きやすいのは禅の影響というのも、なるほどと思いました。これから私も、もう少し「身体」を意識してみようと思います2021/02/03
Sakie
11
甲野さんの日本武術史研究に基づく見識と、養老先生の思いつき発言は、かみ合っているのかすら理解できない。中盤以降の、身体の知見と脳生理学の知見を突き合わせての談義は興味深い。人間が身体を動かすことのオート/マニュアルを小脳/大脳の働きに絡めて考察すると、人生で積み上げた後天的オート回路の上書き作業=修練はそら難しいわな、と納得できる。一人稽古の難しさ、修練の回り道は誰でも経験することなのね。うまくいかないことこそが経験値、か。『基本の大切さは、あるていどにならないとわからない』『人間にとって自然とは何か』2015/04/14
Ryuya Matsumoto
10
両先生のお話、どちらも興味深く読みました。特に「オート」と「マニュアル」の話が印象的で、もっとよく考えてみたいと思いました。とにかく、体を動かしたくなる本でした。2016/11/28