内容説明
世界内存在として、その日常性において“頽落”し、未完結な存在である現存在は、いかにしてその全体性、本来の固有の可能性を実現できるのか?“死に臨む存在”として、みずからの死に直面するあり方、「死への先駆」を考察することで明らかにする(第2篇第2章第60節まで)。
目次
第1部 時間性に基づいた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的な地平としての時間の解明(現存在と時間性(現存在の予備的な基礎分析の成果、ならびにこの存在者の根源的な実存論的解釈の課題)
現存在に可能な全体存在と“死に臨む存在”(現存在にふさわしい全体存在を存在論的に把握し、規定することが不可能にみえること;他者の死の経験の可能性と全体的な現存在の把握可能性;“残りもの”、終わり、全体性;死の実存論的な分析と、死の現象について可能なその他の解釈の領域の確定;死の実存論的かつ存在論的な構造のあらかじめの素描;“死に臨む存在”と現存性の日常性;日常的な“終わりに臨む存在”と、死の完全な実存論的な概念;本来的な“死に臨む存在”の実存論的な投企)
本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性(本来的な実存的可能性の証しの問題;良心の実存論的・存在論的な諸基礎;良心の呼び掛けとしての性格;気遣いの呼び掛けとしての良心;呼び起こすことの理解と負い目;良心の実存論的な解釈と通俗的な良心の解釈;良心のうちに“証し”される本来的な存在可能の実存論的な構造))
著者等紹介
ハイデガー,マルティン[ハイデガー,マルティン] [Heidegger,Martin]
1889‐1976。ドイツの哲学者。フライブルク大学で哲学を学び、フッサールの現象学に大きな影響を受ける。1923年マールブルク大学教授となり、’27年『存在と時間』を刊行。当時の哲学界に大きな衝撃を与えた。翌’28年フライブルク大学に戻り、フッサール後任の正教授となる。ナチス台頭期の’33年に学長に選任されるも1年で辞職。この時期の学長としての活動が、第二次大戦直後から多くの批判をうける。大戦後は一時的に教授活動を禁止された。’51年に復職、その後86歳で死去するまで旺盛な活動を続けた
中山元[ナカヤマゲン]
1949年生まれ。哲学者、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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