出版社内容情報
ミュッセ[ミュッセ]
渡辺守章[ワタナベ モリアキ]
内容説明
メディチ家の暴君アレクサンドル。その放蕩の手先となり腹心を装いつつ主君の暗殺を企てる従弟のロレンゾ。義妹チーボ侯爵夫人へのアレクサンドルの恋を利用し権力を握ろうとするチーボ枢機卿…。謎に満ちた暗殺事件を、二人の若者の間に交錯する権力とエロスを軸に描いた傑作。
著者等紹介
ミュッセ,アルフレッド・ド[ミュッセ,アルフレッドド] [Musset,Alfred de]
1810‐1857。フランスの作家。パリに生まれる。9歳にならないうちから高等中学校に通い古典的教養を身につけた。19歳で最初の作品集を発表。以降、いくつかの戯曲を書くが上演での評判は芳しくなかった。22歳の時に7歳年上のジョルジュ・サンドと知り合い、愛人関係となる。後に代表作となる『マリアンヌの気紛れ』『戯れに恋はすまじ』などは20代前半に書かれた作品。健康状態が悪化し、晩年はほとんど創作活動をしなかった。1857年死去
渡辺守章[ワタナベモリアキ]
1933年生まれ。東京大学名誉教授。フランス文学・表象文化論を専攻。演出家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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のっち♬
103
16世紀フィレンツェ、従弟が腹心を装って暴君を殺害した史実が題材。アイデンティティが存在と現出の間で極端に揺らぐのがミュッセの特色で、性差という身体的現実に現れる主観性が権力ゲームの内部で決定されていく。特に公爵夫人の枢機卿への痛烈な逆襲、フィリップとロレンゾの時間の捉え方の対比、剣や告白に顕現した演技的二重化の効果は極めて劇的。また、ロレンゾ・枢機卿・フィリップの鏡像的三角関係や、殺害を性的征服と重ねる比喩を政治的レベルへ拡張させたり、神話による象徴性保持など、長丁場に芸術意匠が濃密に盛り込まれている。2023/11/08
藤月はな(灯れ松明の火)
71
メディッチ家やスコルツィ家と言ったら塩野七生作品ではなく、トリブラを、パッツィと言ったら『ハンニバル』を連想してしまう私なので読んでいて色んな意味で気が気じゃなかったです(^^;;目的を果たすためとは言え、汚れ、元に戻れなくなるロレンザッチョが痛々しい。でも卑劣な手段でロレンザッチョを辱めるアレクサンドルとアレクサンドルに肉薄し、彼の殺害を婚礼や性交に例えるロレンザッチョの関係は『太陽がいっぱい』のフィリップとトムのよう。最後は衆愚は政治を担わず、結局、権威を独占したい者だけという現実を述べているのだろう2016/09/28
syaori
30
フィレンツェ公国を舞台にした戯曲。劇は2つの欲望、フィレンツェとアレクサンドルを巡って進みます。登場人物たちの背後には祖国フィレンツェがあり、そのために暴君アレクサンドルを追って共和制を復活させるのか、操るのか、弑するのか。この様々な思惑が絡まる暴君を巡る歴史劇のなかでロレンゾの悲壮な陶酔はやはり印象的です。恋に似た情熱でアレクサンドルの命を狙い、そのために彼の寵臣として放蕩を尽くし、わが身にも言葉だけの民衆にも絶望する彼はなぜ殺すのか。最後のコジモのフィレンツェ公就任の場面は荘厳で、空しさが募りました。2016/10/24
松本直哉
25
幸福な少年期はもはや失われて暴君の走狗となるロレンザッチョの運命と、ルネサンスの栄華がもはや過去形となり、放蕩と陰謀の渦巻くフィレンツェの町の運命が、重ね合わされる。第三幕、暗殺の決意を語るロレンザッチョの法外に長い独白は、その長さにもかかわらず虚しい。暴君を暗殺しても、共和国の平安は二度と戻らないことを、誰よりも見透しているのに、まるで恋い焦がれるように殺意に駆り立てられてゆく。なぜ殺すのかという問は無意味なのだ。理由もなく連想したのは山口ニ矢のことだった。2020/04/17
たまご
18
むー,難しい… 何故彼は暗殺をしたのか.サンドの解釈(読んでないけど)のほうがよくわかる,とゆーか普遍的とゆーか. 究極の独占のため(命を他人に絶たせない),とゆーと急にメロドラマですが,いやいやそれだけではない. 彼は行動の人で,暗殺が終わった後はもう余生のような. この不思議さが解けない謎のように,魅力をいつまでも持ち続けるのでしょうか. そして,解説が,また難しく,解説に感じない…2017/10/21