内容説明
「これが、生きるってことだったのか?じゃ、もう一度!」。大胆で繊細。深く屈折しているがシンプル。ニーチェの代理人、ツァラトゥストラが、言葉を蒔きながら旅をする。「ツァラトゥストラはこう言って、洞穴をあとにした。暗い山から出てきた朝日のように、光と熱と力がみなぎっていた」。
著者等紹介
ニーチェ,フリードリヒ[ニーチェ,フリードリヒ][Nietzsche,Friedrich]
1844‐1900。ドイツの思想家。プロイセン生まれ。プロテスタントの牧師の家系。ボン大学神学部に入学するが、古典文献学に転向。24歳の若さでバーゼル大学の教授になるが、処女作『悲劇の誕生』が学界で反発され、事実上、アカデミズムから追放される。近代市民社会、キリスト教道徳、西洋形而上学などをラディカルに批判して、20世紀以降の文学・思想・哲学に大きな影響をあたえてきた。晩年は精神錯乱に陥って、死去
丘沢静也[オカザワシズヤ]
1947年生まれ。ドイツ文学者、首都大学東京教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 2件/全2件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
マエダ
50
ニーチェはツァラトゥストラを通してこれまでの古い概念、特にキリスト教に物申しているが。古典的名書であるが当時のキリスト教の人々はどう本書を捉えていたのかがすごくきになるところであり、どんな場面でも自分自信を肯定しスタイルを貫き通すツァラトゥストラ他の訳も読んでみようと思う。2016/01/31
藤月はな(灯れ松明の火)
42
ツァラトゥストラは、生を悲観的に考える人間や一度は迎合するが結局は続けていた習慣にしがみ付く人間へ「神は死んだ」と吼える。そこにあるのは人間賛歌。「永遠」という女と子を成すというのは、意志や思想が時代や世界を越えて循環するという暗喩だろうか。そして神を殺した人間は自分を最も恥じるからこそ、神の不躾な視線に耐えられないというのは人間=原罪という考えや尊厳すら蔑ろにする『ハーモニー』のように過剰すぎる思いやりへの怒りにも思える。しかし、倒れたツァラトゥストラを看病する蛇と鷲を想像すると和むものがあります。2013/10/01
inami
37
◉読書 ★3 まるでピンとこなかった上巻を、我慢して読んだことで少し慣れたのか、下巻は肚落ちまではしなかったものの、雰囲気はつかめたような気がする(なにが分かったのかは分からないが 笑)。聖書のパロディといわれる説教集、そして生きることにさまざまなヒントをあたえるくれるとされる本書・・またいつか、読み返してみようと思う将来の自分に期待したいのだが・・それにしても『ツァラトゥストラ』カタカナだが、何とも読みにくい(笑)2023/05/17
Vakira
37
後半 詩的進行が増えてくる。説法的ではない。比喩も多く、以前読んだがやっぱり判らないことが判った。 ツァラトゥストラを崇拝する人々は山の洞窟へ 右の王、左の王、引退した法王、たちの悪い魔術師、自分から乞食になった男、年寄りの預言者、さすらいの影、もっとも醜い人間、良心的な研究者。 この情景どこかで見たと思ったらホドフスキーの「ホーリーマウンテン」だ。ホドロフスキーさん実は「ツァラトゥストラ」からインスピレーションが湧いてんでしょう。 2018/06/19
たんかれ~
29
上巻と同じく比喩が多くて難解でしたが、とにかく読み切りました。自画自賛ぶりは少し鼻に付きますが、他人から教えられた神よりも自分の自由意思のほうが尊いというツァラトゥストラの強い言葉には背中を押されます。当時キリスト教界からは随分バッシングされたことだろう。『意志することによって自由になる。意志することは創造することだ。』2015/05/15