内容説明
“被疑者”冬木二等兵の「不条理上申」と東堂太郎の「意見具申」とは奏功、奇怪な“事件”は終熄する。醜怪極まりない「模擬死刑事件」による、東堂・冬木らの営倉入りを経て、事態は、教育期間の最後を飾る大珍事によって急転回する。その主人公こそ、大前田軍曹その人だった―。そして、一九四二年四月二十四日午前九時五十五分、東堂は屯営に訣別したのであった。
著者等紹介
大西巨人[オオニシキョジン]
1919(大正8)年福岡市に生まれる。九大法学部中退。新聞社勤務を経て、召集により対馬要塞重砲兵聯隊に入隊。45年に復員後は福岡市で『文化展望』を編集。47年『近代文学』同人。52年上京して「新日本文学」常任中央委員となる。72年同会を退会。戦争・政治・差別問題を中心に執筆活動を行っている
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感想・レビュー
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踊る猫
36
読み終えた、という気がしない。むしろ東堂太郎をめぐる物語はここから始まる、という印象さえ受ける。そう、『神聖喜劇』は終わらない小説(あるいは始まってすらいない小説)なのだ。私たちの社会もまた東堂が属する軍隊に似ており――あるいは日本という国それ自体も?――そこを生きる東堂の姿とは私たちの姿でもあるのだろう。カフカにおけるKのようなユーモアで軍隊を生き抜く東堂の姿に、ドリフにおける志村けんのそれにも似た不敵な佇まいを感じ、私もまたニヤリと笑ってしまった。読み終えるのが惜しい一冊。『カラマーゾフの兄弟』的な?2019/07/21
松本直哉
23
嗜虐的悪ふざけの極みの模擬死刑の直後だけになおさら、青い目の輝く冬木の「天に向けて撃つ」ひとことが光り輝く。全5巻のクライマックスはここだった。それは撃つこと、殺すことの拒絶、すなわち兵士であることの拒絶、窮極の叛乱。たった一人の叛乱の無力なごまめの歯ぎしりは当然厳しい罰が下るが、だから無意味ということにはならない。部落出身ゆえの陰湿な差別にさらされても精神の自由を最後まで失わない冬木と彼を守ろうと奔走してきた東堂の、別れ別れになる前の敬意と感謝にみちた会話が忘れがたい。2019/10/07
みつ
22
いよいよ最終巻。「異変」の犯人探しの場面では、語り手を離れ、時間の順序をばらばらにしたうえでシナリオ風に構成され、劇的かつ歪んだ空間を形成する。その中に挿入された、幼少期の冬木が醤油の代金を支払うため、水を入れた四斗樽に小銭を入れることを強いられる場面(「新平民」の触れたものは不浄ということか?)の残酷さ。この後「摸擬死刑」の場面では、軍隊の愚劣さと対して声を上げる一・二等兵たちを描いて、大きなクライマックスに達する。最後の場面では班長大前田がとんでもない行動に出て、東堂の陰画としての存在を明らかにする。2021/05/03
無識者
19
社会的不平等に歯向かう事、それは有意義なことだと信じたい。「生産様式が変わらん以上、抑圧がなくならない、不平等を是正するなら生産様式を変える努力をせよ」みたいなことをいい、東堂のような抵抗を批判的に見る人に会った事がある。私個人は現実の不平等は実際に差別された人が不平を訴え、それにより社会の認識が変わり、実定法が作られ是正されるように思う。2016/05/09
きいち
15
本当に、本当に読み終わりたくなかった。すごい小説だった。例えば模擬死刑に抗して立ち上がる東堂と冬木、末席組、いい人藤麻、そして村崎と、それだけならただのカタルシスだが、江藤の参加、そして全否定する村上教官、さらに彼への敬意の消えなさ…「これぞ小説」だと感じ入る。東堂がこの戦争を生き抜くべきと感じるまでの転回には、どの登場人物もが大きな役割を果たしているから、各キャラそれぞれ読み返したくなってしまう。大前田や冬木はもちろんだが、鉢田や橋本だって、いや神山や吉原だってそうなのだもの。すごいわ、本当に。2012/09/18