内容説明
「アメリカ型のグローバル・スタンダード」だとか「グローバリゼーションの世界的標準化に対する備え」だとか「英語公用語論」だなどと言われれば、とにもかくにも英語を学ばなければ、この先の世の中で生きてゆくことはできないと感じてしまうかもしれない。今からでも英会話を始めなければ負け組になってしまうと心配になるかもしれない。あるいは、自分はもう無理でも、せめてわが子にだけは是が非でも英語を身につけさせてやりたいと願うかもしれない。しかし、あえて断定的に言おう。これらの主張や懸念は、どれも幻想である。妄想だとさえ言える。膨大な時間と大金をつぎ込んで英語を学ぶことにどれだけの意味があるのか、今一度、一人一人が冷静に考え直してみて欲しいと思うのである。
目次
第1章 英語をとりまく状況(英語で言えばエラい?;英語=世界標準には根拠がない ほか)
第2章 英語支配の虚像(国際標準という“長い物”;「グローバル化」と「世界」と「英語」の混同 ほか)
第3章 アメリカ妄想(「ソフト・パワー」は英語の支配力を維持するか;「アメリカ=民主主義国」は世界の共通見解ではない ほか)
第4章 英語学習と言う徒労(なぜ日本人は英語ベタなのか;英語ができなければ、この先生きてゆけないのか ほか)
第5章 グローバル化幻想(グローバル化のつもりが英語世界への「閉じこもり」;アメリカに反旗を翻しはじめたヨーロッパ ほか)
著者等紹介
薬師院仁志[ヤクシインヒトシ]
1961年大阪市生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育社会学)中退。京都大学教育学部助手、帝塚山学院大学文学部専任講師を経て、’98年より帝塚山学院大学文学部国際文化学科助教授。主な専攻分野は社会学理論、現代社会論、教育社会学
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