内容説明
Zカーの父・片山豊とカルロス・ゴーンの固い握手。そこから新しい歴史が始まった。ニューZが復活する。そこに込められた大きな意味とは?アメリカ日産の社長としてダットサンを輸入社ナンバーワンに育て上げた片山豊の物語は、日本人が失ったもの作りのスピリットそのものだった。そしてそのDNAは、さまざまな人に受け継がれていたのであった。
目次
序章 Zカー復活
1章 アメリカ日産を作る
2章 Zカー誕生
3章 Zカークラブ
4章 ダットサンが消える
5章 ブランド・アイデンティティ
6章 またルノーがやってきた
7章 継承されていたDNA
8章 ニューZ
9章 夢
終章 ビジョナリーであること
著者等紹介
片山豊[カタヤマユタカ]
1909年静岡県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、日産自動車に入社。60年アメリカへ赴任、アメリカ日産社長となる。77年退任後、帰国。98年米国の自動車殿堂入りをする
財部誠一[タカラベセイイチ]
1956年東京都生まれ。慶応義塾大学法学部卒。野村証券、出版社勤務を経てフリージャーナリストに。金融、経済分野で幅広く活躍
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
佐島楓
25
日産の「Zカー(フェアレディZ)」。その父と呼ばれる人物の証言。出版当時九十一歳というお年でありながら、なお尊敬を集める片山氏の存在に惹かれるものを感じた。また、日産の車の歴史を書いた本でもあり、懐かしく読める方も多いのではないだろうか。自動車産業で発展してきた日本や、企業のブランドについても考えさせられた。2014/11/09
ウチ●
4
日産がなぜトヨタやホンダの様になれなかったのか、が書かれています。共著者の片山豊氏(元アメリカ日産社長)こそは北米の多くのZカー(ズィーカー:日本名フェアレディZ)ファンからミスターKと慕われ、アメリカで豊田英二、本田宗一郎に続き「自動車の殿堂」入りを果たした3人目の日本人とのこと。片山氏は日産の創業者でもなければ社長でもなく、ましてや日産では役員にもなれなかったとありますが、氏のぶれないアイデンティティこそが日産には必要だったんですね。実は私も「大衆のためのスポーツカー」にヤラれちまった一人でした・・・2013/02/10
moleskine_note
1
日産について抱いていた疑問に一つの解決を与えてくれる。僕が最も美しいクルマだと思う"240Z"。正直僕もあれ以外はZだとは思いたくないくらい(笑)セールス面で成功した日本車の運命はとても暗い。ジャガーにもポルシェにも負けていなかったZのお話。2013/05/06
washa46
0
ミスターKこと片山豊氏の携わった車や事業に対する強い思いが感じられる作品。 復活したはずの日産が、いままた窮地に立たされている…頑張れ日産!!。2025/06/01
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