出版社内容情報
どのように生き、どのように死ぬか。
古今東西で追究され続けてきた、人間にとって永遠の問い。清水寺貫主を務めた高僧・大西良慶和上と、文化勲章を受章した彫刻家・平櫛田中氏、一世紀を生きた二人がそれぞれの人生観を提示する。
不安、孤独、虚しさ。生きることの苦しみにとらわれたとき、たくましく生き抜く身の処し方を示す一冊が、現代に復刊(初版本は1979年に山手書房より刊行された)。
目次
やっぱり「いま」が最高やな―大西良慶百五歳(長寿;日々好日;仏縁;平等;我;智恵;老病死)
わしがやらねばだれがやる―平櫛田中百八歳(我が道;一処不住;人間苦;勲章;師;難中之難)
著者等紹介
大西良慶[オオニシリョウケイ]
1875年(明治8年)12月21日、奈良県多武峰(現・桜井市)に生まれる。1889年、九条家の要請をうけ興福寺に入り、1890年、受戒・得度。1893年、法隆寺勧学院第一期生となり、唯識を学ぶ。1897年、勧学院全科を修了。1900年、興福寺住職に任命される。1904年、北京に渡り東文学舎に入学、中国語を学び、翌年従軍僧として満州に入る。1914年、清水寺の貫主となり、翌年8月、仏の教えを説く「うらぼん法話」を開始。現在まで続き、京都の各寺で開かれる暁天講座の先がけとなる。「社会のための仏教」を掲げ、生涯を通して人々への布教、高齢者・児童福祉、平和活動に精力的に取り組む。1962年、日本宗教者平和協議会理事長に就任。1975年、仏教伝道功労賞を受賞、1976年には朝日社会福祉賞を受ける。1986年(昭和58年)2月15日、逝去
平櫛田中[ヒラクシデンチュウ]
1872年(明治5年)2月23日、岡山県後月郡西江原村(現・井原市)に生まれる。本名倬太郎。1893年、大阪の人形師・中谷省古に弟子入りして木彫の手ほどきを受け、のち上京して高村光雲に師事する。1899年から日本美術協会展などでたびたび入賞、1907年には第1回文展に入選する。同年、米原雲海らと日本彫刻会を結成、翌年の第1回展に出品した「活人箭」が岡倉天心に認められ、以後天心の伝統木彫復興の精神を継ぎ、その実現に努める。1962年、文化勲章を受章。1971年、白寿を記念して「平櫛田中賞」が設けられる。1979年(昭和54年)12月30日、逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Go Extreme