内容説明
平成二十三年三月十一日―。宮城県北東部の海にうかぶ大島を巨大な津波がおそいました。大島と本土の気仙沼港を結ぶ連絡船「ひまわり」の船長、菅原進さんは、「このままでは島が孤立する!」と、「ひまわり」と共に、津波を乗り切る決心をしますが…。震災後、大島の人びとの大きな支えとなった「ひまわり」のすがたを通して、島民が一丸となって歩んだ復興への道のりを追います。小学校中学年から。
目次
第1章 見つけた仕事
第2章 船長さんは大工さん
第3章 とてつもない津波
第4章 守られた大島
第5章 連絡船「ひまわり」、走り出す
第6章 それから、これから
著者等紹介
今関信子[イマゼキノブコ]
1942年、東京に生まれる。幼稚園教員を経て、創作活動に入る。現在は、児童文学とともに、子どもの遊び、文化、生活に広く関心を持ちながら活動している。日本児童文学者協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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よちよち
8
仕事本。大きめの活字で読みやすい。しかし、東日本大震災の大津波に向かって進む場面は圧巻。涙があふれて仕方なかった。菅原さんの勇敢な行動がなかったら、震災後の大島の生活も大きく変わっていたことだろう。当時の菅原さんの英断に拍手!小学生向けに書かれた本だが、ぜひ大人にも読んでほしい内容。2014/09/25
がんぞ
3
宮城県気仙沼市の大島は東北最大の有人島。菅原進さんは中卒で漁師となり27歳で結婚してからもマグロ船で一航海2年は日本に戻らないような生活/結婚し子も生まれ家族と暮らせる暮らしのために、中古船を購入し、定期連絡船以外に「深夜でも一人でも(よほどの荒天以外は)届ける「海のタクシー」を始めて、急患や妊産婦などに感謝された/新築の家の床下収納庫に4Lペットボトル飲料水百本→十年後、震災で導水パイプが破損「命の水」/69歳、いち早く沖を目指し船を守る/「お金はいりません」ピストン輸送/その後も各三百円を被災者に寄付2023/06/06
ゆう
1
菅原さんの連絡船は大島の人たちにとって海のタクシーである。東日本大震災で、向かってくる津波に小さな船で向かっていく様子は、怖さを通り越して、無事でいてくれてありがとうと感謝したくなる。2013/07/06
ひっしー
0
だんだん薄れゆく、震災のこと…やっぱり意識を向け続けることが大切なこと。去年の夏に行った気仙沼、大島。大きな地震と襲い来る津波の恐怖の中、島のみんなと逆の海の方へと、「ひまわり」といっしょに向かって行った菅原さん。島のみんなを想う気持ち、責任感に感動!「ひまわり」は島のみんなにとっての希望。まだまだ復興まで時間がかかる。『分け魚』の気持ちを忘れずいこう!2013/01/07
ヒラP@ehon.gohon
0
あの大災害は自然の驚異の下にあったのに、同時に発生した原発事故が、政策や経済や将来への構想やらの問題を追加して、いつの間にかあの災害より大きな問題となろうとしています。 なんだか、過去形になったり、型にはめられようとしている中で、あの時さまざまなドラマがあったことを知ることは、とても貴重な事実確認だと思います。 このひまわりさんは、あの大津波を乗り越えた勇気と、島の混乱を助けた魂と、くじけることない強さを教えてくれました。 悲しみは未来形ではなく、希望こそが未来形なのです。 2012/12/05