出版社内容情報
哲学はいつも根拠を求める学としてイメージされてきた。しかし二十世紀の哲学の歩みは究極の根拠の不在を証ししている。ではそこからどのように哲学は出発したらよいのか。
目次
Ⅰ 現象主義から現象学へ
1 世紀末の認識論
―エルンスト・マッハと「ウィーン」の精神―
2 マッハ哲学の現代的射程
―時間・空間論を軸に―
Ⅱ 現象学への/からの越境
3 フッサール現象学の臨界
―「意味論的還元」から「解釈学的還元」へ
4 「幾何学の基礎」と現象学
―ヒルベルト、フレーゲ、フッサール―
5 志向性と指示行為
―フェレスダールの「ノエマ」解釈をめぐって―
6 志向性と目的論的構造
―パトナムの現象学批判が意味するもの―
Ⅲ 無根拠からの出発
7 「生活世界」という背理
―アルキメデスの点からノイラートの船へ―
8 超越論的認識と経験的認識
―「基礎づけ」なき認識論を求めて―
9 哲学の終焉と終焉の哲学
―R・ローティによる哲学の脱構築―
10 無根拠への問い
―現代における「問い」の構造―
あとがき
人名索引/事項索引
初出一覧
目次
1 現象主義から現象学へ(世紀末の認識論―エルンスト・マッハと「ウィーンの精神」;マッハ哲学の現代的射程―時間・空間論を軸に)
2 現象学への/からの越境(フッサール現象学の臨界―「意味論的還元」から「解釈学的還元」へ;「幾何学の基礎」と現象学―ヒルベルト、フレーゲ、フッサール;志向性と指示行為―フェレスダールの「ノエマ」解釈をめぐって;志向性の目的論的構造―パトナムの現象学批判が意味するもの)
3 無根拠からの出発(「生活世界」という背理―アルキメデスの点からノイラートの船へ;超越論的認識と経験的認識―「基礎づけ」なき認識論を求めて;哲学の終焉と終焉の哲学―R.ローティによる哲学の脱構築;無根拠への問い―現代における「問い」の構造)
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