内容説明
広島の原爆被害直後を撮影した報道カメラマン松重美人氏が、二度と戦争が起こらない平和な社会の実現を願って綴る1945年8月6日の迫真のドキュメント。
目次
あの日あの時―1945年(昭和20年)8月6日(月)(あの日;わが家へ;皆実町・専売局前―御幸橋へ;鷹野橋から紙屋町を回り中国新聞社へ ほか)
1枚の写真をもとに「企画対談」開催(写真に写った人との再会;報道カメラマンが語る8月6日の出来事;河内光子さんが語る8月6日の出来事;地球上の人類すべてに平和を)
著者等紹介
柏原知子[カシハラトモコ]
1949年(昭和24年)愛媛県生まれ。伊予郡松前町立松前中学校、済美高等学校を卒業。1973年(昭和48年)亜細亜大学卒業。1974年(昭和49年)お茶の水女子大学聴講生。1975年(昭和50年)愛媛県で小学校教師となり、市内・山間部などで教鞭をとる。1982年(昭和57年)広島市で小学校教師となる。2001年(平成13年)広島県立女子大学大学院修士課程在学中(夜間)。日本平和学会所属。日本写真協会所属。ヒロシマ・ピース・ボランティア(広島平和記念資料館)。中四国「ふれあい文化交流会」代表。まちづくり、ボランティア、平和研究に取り組む
松重美人[マツシゲヨシト]
1913年1月2日、広島県呉市生まれ。旧制中学校中退。1941年、芸備日日新聞社会部記者。1943年、中国新聞社写真記者。1944年、中国軍管区司令部報道班員。1945年、8月6日午前8時15分広島原子爆弾投下、被爆状況を写真に撮る。1969年、中国新聞社定年退社。1975年、中国新聞社社会事業団慰問団。1977年、ニューヨーク国連総会に派遣され、被爆体験を発表。被爆写真を通して反核平和を訴える。1979~1981年、広島市より二度中国に派遣される。北京、南京、上海において反核平和を訴える。1983年、広島平和文化センター委嘱、修学旅行生に被爆の実相・継承語り部。1987年、モスクワで開かれた世界医師会議に「核戦争を無くするための国際医師の会」より派遣され、反核平和を訴える。2001~2002年、修学旅行生に被爆の実相・継承語り部(小・中・高校生)広島平和文化センター主催。フリーカメラマン(専門、原爆被爆写真)。前(財)広島平和文化センター評議員。前広島戦災協会理事。前広島原爆被災撮影者の会代表。研究テーマ、原爆被災被害調査
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