出版社内容情報
「じぶんが感じていることについてきめこまかに語りたいとだれもがおもう。けれども、言葉はいつもちぐはぐ。いつも外れ」(本書より)。
捉えたとおもえば零れ落ち、言い当てたとおもえば逃れ去る、そんな身体の記憶を手繰り寄せ、人間の感覚の襞へと分け入り、感触の肌理を写し取る――文章家・鷲田清一の魅力を存分に堪能できる、珠玉のエッセイ集。
2006年掲載
朝日新聞夕刊7/19、週刊朝日7/28
★編集担当者より
《「わたし」はあなたにとっては「あなた」であり、「あなた」はあなたにとっては「わたし」だということ、そのことの了解のなかに「わたし」は生まれる。〈他者の他者〉としてのじぶんの了解、その上に「わたし」が編まれるのだとしたら、わたしが「わたし」として生まれたときには、唯一のものとしての「わたし」はすでに死んでいるということになる。》(本書より)
じぶんは何者だと過剰なまでに自己の存在に問いをつきつけ、誰もじぶんをわかってはくれないと孤独の檻に閉じこもろうとした若かりしとき、「わたし」のなかにはすでに他者が埋め込まれていると、独特の熱を帯びた文体で語ってみせる鷲田さんの言葉に勇気づけられたことを、(私事ですが)思い出しました。
その文章の力の源泉に、本書の編集過程をつうじて、再び触れることができたように感じています。
誰もが(文字どおり)身に覚えがあり、あるいは親しんできたはずでありながら、言葉で語りだしたとたんにずれていき、もつれていく、あの感触、あの記憶を、それでもあえて言葉を紡ぎだすことで捉えていこうとする鷲田さん――
《じぶんが感じていること、たとえば感覚とか気分とか密かな想いについて、語るのはむずかしい。いつも浮ついているか、言葉足らずの感じがして、それはそれはもどかしい。どうして言葉がすぐに出てこないのだろう。……言葉はいつもちぐはぐ。いつも外れ。》(本書より)
そんな鷲田さんの魅力、感覚の襞へと分け入るような文章を存分に堪能していただける一冊に本書は仕上がりました。読者のみなさんには、この世界にどっぷりと浸ってほしいと思います。
また、本文の合間には、鷲田さんが「ひとめぼれ」したという、田村尚子さんの写真を散りばめました。あわせて、お愉しみいただければ幸いです。
内容説明
言葉はいつもちぐはぐ。いつも外れ。捉えたとおもえば零れ落ち逃れ去る、そんな感覚の深淵へ。身体論の名手、珠玉のエッセイ集。
目次
ほころび
疵きず
聲こえ
ふるえ
まさぐり
縁へり
まどろみ
ぬくみ
こもり
うつろい
ファッショナブルな器官
著者等紹介
鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年、京都府生まれ。哲学者。大阪大学教授。『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』(阪急コミュニケーションズ、桑原武夫学芸賞)など著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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