出版社内容情報
マンの死後20年たった1975年に初めて公にされた膨大な量の日記を,無削除でかつ編集者の手を加えずにそのままの形で公刊したものに詳細な注が付されている。トーマス・マン研究家やドイツ文学者には必備の資料であるが,ヨーロッパ精神史上の貴重なドキュメントでもある。マンの日記の第1巻にあたる本書は,1933年3月から1934年12月末までの2年間分を収める。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
kero385
21
【1933年】 「トーマス・マン日記」全10巻の第1巻は1933年―1934年を収めている。最初の記述は3月15日から始まる。この頃のドイツでは、1月30日のヒトラー内閣成立、2月27日の国会議事堂炎上事件、3月23日の全権委任法成立など、後にドイツを破滅に導く出来事が相次いでいた。 この日マンは、ドイツではなくスイス・アローザにいた。2月11日に夫人を伴いオランダから始まる講演旅行に出ていた。ナチスに批判的なマンは、一連の情勢を見極め、身の安全を図って講演旅行を終えても周辺のスイスに留まっていたのだ。2026/07/22
kero385
14
【1934】 1934年前半は、緊張に満ちた昨年とは異なり、穏やかな日々の記述が多い。1933年9月の終わりにスイス・キュスナハトに住居を定めたことが大きかったのだろう。 友人や知人が往来し、音楽会や演劇、映画を楽しむ余裕も出てきている。また朗読会や講演会などでスイス各地を飛び回っている。 しかもマン自身が運転する自動車で度々旅をしている程だ。そして、5月の終わりには招きによりアメリカを訪問している。2026/07/27
駄目男
12
トーマス・マンの日記は5巻あるらしいが、私が読んだ本書は第1巻になる。併し、こんな本を読む人など先ずいないだろう。それもそのはず、かなり専門的で難しい。偶然、古書市で見つた1933ー1934年の第一巻は、ヒトラー政権が勃興した年と重なり興味がわいたが、如何せん、ドイツ語の読みづらさ、人名、地名などカタカナで読むには四苦八苦。 更には膨大な注釈、マンの交友関係の広さから作家、大学教授など当時の著名人がこれでもかというほど登場する。 なかでもヘルマン・ヘッセとの親交は深く、自身がノーベル文学賞作家でもあること2023/01/13
月
0
通読したわけではないよ2014/07/04
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