人物文庫
山川家の兄弟―浩と健次郎

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  • サイズ 文庫判/ページ数 402p/高さ 16cm
  • 商品コード 9784313752078
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0195

内容説明

戊辰戦争で最後まで抵抗した会津藩士には逆風が吹いた薩長藩閥全盛の明治時代、節を屈することなく男爵になった兄弟。戊辰戦争で会津軍を指導し西南戦争にも従軍した兄・山川浩。白虎隊の生き残りで、のちに東大総長を務めた弟・山川健次郎。会津藩士である山川家の兄弟が歩んだ波瀾の生涯を辿り、明治日本の凛然たる人間像を描き出す直木賞作家の歴史長編。

著者等紹介

中村彰彦[ナカムラアキヒコ]
1949(昭和24)年、栃木県栃木市生まれ。東北大学文学部国文学科卒業。文藝春秋勤務を経て作家。89年、「明治新選組」でエンタテインメント小説大賞受賞。93年、「五左衛門坂の敵討」で中山義秀文学賞受賞。94年、「二つの山河」で直木賞受賞。05年、「落花は枝に還らずとも」で新田次郎文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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スー

20
61山川浩と弟の健次郎と妹の捨松そして松平容保と会津の人達の戊辰戦争とその後の明治時代をどう生きたのか?会津への差別は長く続き柴五郎が世界的に有名になって初めて会津人で今までの慣例を破り大将にまで成れた。西南戦争で警察や軍に沢山採用されたがその後も会津人は分散して配属され常に警戒されていたようです。征韓論は幕府は朝鮮と対等に付き合っていたが外交に素人の薩長の人間が朝鮮を下に見た書簡を送った事で朝鮮が反発して起きた!自分達の無知で起こした事に右往左往してたとは面白い。会津人の恨みが伝わってきました。2022/07/15

てん06

17
小説ではない(と著者も本文中で言っている)。史料にもとづき、幕末の会津藩で将来を嘱望された山川浩、弟の健次郎を軸に、他の家族(祖父、母、姉、妹・・・)も含め、その人物像を描き出したもの。会津藩出身というだけで明治期にいわれのない差別、中傷をうけつつも、温かくかつ厳しく、一本筋のとおった山川家の人たち。これが武士道だろうか。それとも会津の家風だろうか。大山巌夫人となる捨松を筆頭に、幕末から明治期に兄妹のうち4人?が海外留学というのは驚嘆。読んだこちらも姿勢を正したくなる思いがする。会津には「人物」多し。2014/09/17

北之庄

12
大河「八重の桜」で知った会津藩家老山川浩と、東大総長となった弟健二郎の生涯を綴る本書。維新後、陸軍高官かつ教育者として名を馳せる浩だが、戊辰の役で籠城真っ最中の鶴ヶ城へ、笛太鼓を打ち鳴らしつつ彼岸獅子に扮した手兵を率いて入城するシーンが生涯の白眉かと。後年、鬼官兵衛と共に臨む西南戦争へ出陣の折りに詠んだ「薩摩人みよや東の丈夫が下げ佩く太刀の鋭きか鈍きか」に、向背定まらなぬ薩人への思いが滲む。会津より眺める裏維新に胸が痛む作品。2018/02/23

yamatoshiuruhashi

8
幕末、賊藩とされた會津の重鎮・山川浩とその弟・健次郎両男爵の実話を検証する筆致での一冊。登場人物の会話などは小説手法であるが、内容は文献の地道な調査の上での論文的であり、決して時代小説ではない。しかし、「賊藩」出身ながら西南戦争では熊本城解放の重要な責任を担った浩、東京帝大、京都帝大、九州帝大の総長を務めた健次郎、日露戦争時の満州軍総司令官大山巌夫人・捨松といった山川家の人々の苦難の歴史をつまびらかにすることが、日本人として過去への敬意と現代の努力への意識への一助となると思う。(堅すぎる表現でした)2014/02/22

makimaki

8
小説ではなく、歴史書?会津の山川大蔵と健次郎兄弟の、戊辰戦争から明治を生き抜いた足跡。戦後から苦しい斗南藩時代を経て、それぞれ有力者となっても、苦しんでいる会津人のために援助を惜しまない生き方に胸が熱くなった。もっとたくさんの人に知ってもらいたい。2013/08/19

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