内容説明
古代日本のヒスイ文化はなぜ消えたか?翡翠とは何か?縄文時代の玉文化の展開、翡翠をめぐる生産と交易など、姿を消した謎のヒスイ文化の全貌を解き明かす。
目次
1 古代日本と玉文化
2 翡翠を科学する
3 縄文時代の装身具
4 翡翠の工人たち
5 遠くまで運ばれた翡翠
6 メラネシアにおける装身具交易―クラの交易の財宝
7 首飾りの「石」が語るもの―無文字社会における民族関係の歴史認識
シンポジウム 古代日本の玉文化
縄文人のヒスイ観念―あとがきにかえて
著者等紹介
小林達雄[コバヤシタツオ]
1937年、新潟県に生まれる。國學院大學大学院博士課程修了。東京都庁文化課、文化庁文化財調査官を経て、國學院大學文学部教授、新潟県立歴史博物館館長。1990年、濱田青陵賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ミルチ
12
いろんな分野の方が集まるシンポジウムの記録。専門家が独自の仮説を立てていて面白い。縄文時代からある翡翠の宝石は想像以上に加工しづらく、質の良い宝石であったらしい。また糸魚川産というブランド力が凄い!出土する遺跡も偏りがあるらしく、産地周辺から波紋のように沢山勾玉が出るわけではなく、専門家が皆頭を捻る様子も楽しい。しかし国産翡翠と分かったのが昭和に入ってからで、それまでビルマ産だと思われていたというのが驚き。日本だけに見られる勾玉型とあの薄緑色が好きというのがいかにも日本人好みで納得。2020/10/23
びっぐすとん
12
図書館本。レビュー見て。実は3年前まで5年連続で夏休みに3日ほど糸魚川でヒスイ探しをしていた(主に夫の趣味)。結局小さなものしか見つけられなかったが。縄文人も川の上流で原石を拾うのではなく、海岸で拾っていたようだがヒスイ探しは至難の業。当時はもっとゴロゴロしていたのかもしれないが、縄文人が糸魚川産ヒスイのみに執着したのは何故なのか?謎は解明されていないが当時どの地域の縄文人も貴重な品だと思ったのだから地域を超えて同じ価値観を共有していたのだろう。糸魚川のフォッサマグナミュージアムは素晴らしいのでオススメ。2018/06/01
紅咲文庫
9
地味な表紙を裏切る面白さ。翡翠についてはわからないことが多いから、いろいろな人を集めてシンポジウムを開いたんだと言いきる冒頭からワクワクする。翡翠は奈良時代から昭和まで忘れられていた。日本から産出しないと考えられていたが実は越の国・糸魚川近辺で透明感のある綺麗な翡翠が取れる。発掘の話、鉱物の話、アフリカやメラネシアでの交易の話。交易の話は何につながるのかと思ったら翡翠をもつ集団の位置関係だった。波状ではなく、距離が離れていた集団に翡翠が伝わっていた。産地は他にもあるが縄文人が糸魚川産に固執した理由も不明→2020/08/26
Toruo555
3
なぜ縄文から古墳時代にかけて、糸魚川産のヒスイが北は北海道の礼文島から南は沖縄と全国に出回ったのかというテーマの本。 糸魚川のヒスイになんらかの魅力と価値があったわけだけど、 決定的な文献もなく本当の理由は謎のままというか浪漫です。仮説と問題提起のやりとりですが楽しめた。 緑だからというわけでも、硬いからというわけでもないらしい。 ヒスイは糸魚川ヒスイしかないくらいのブランドということか。。2018/05/31
浮鴉
2
なぜ縄文人は装身具(呪術具?)に翡翠(ひすい)を選んだのか。そこには独特の価値観があったのではないか、という話。翡翠は縄文時代から各地の遺跡から出土しているが、古墳時代も後期になると姿を消してしまう。産出する場所は日本の数カ所にあるのだが、出土品はすべて糸魚川産であるそうだ。宝石としての質が良いらしい。糸魚川で産出した翡翠が北海道から九州で発見されている。当時の交易の広さと糸魚川産翡翠の高い価値に驚かされる。「学際的」というだけあって、考古学者とは違う発想をする人類学者や社会学者たちの意見も面白かった。2015/02/18




