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出版社内容情報
お金を払えば誰かが何でもやってくれる。そんな生活は本当に楽しい? 廃屋を手直しし、沢から水を引き、薪で火をおこし、シカを撃ち、太陽光で発電する。どこまで自力で生きられるか?
著者情報
1969年生まれ。登山家、作家。世界第二の高峰K2などに登頂したのち食糧を現地調達する「サバイバル登山」を開始。著書に『サバイバル登山家』『狩猟サバイバル』『サバイバル登山入門』『息子と狩猟に』など。
内容説明
自給自足はできます。沢から水を引き、薪を集め、ソーラーで発電、夏は菜園、冬は狩猟…地球の生き物としての自由と喜び。
目次
その1 田舎に住処を探す
その2 ちょっと寄り道(生きるとは)
その3 ケモノを狩る
その4 古民家を活用する
その5 沢の水を引く
その6 土間を活用する
その7 文化カマドで脱化石燃料
その8 犬と暮らす
その9 ソーラーで発電する
その10 畑で作物を育てる
その11 制約と妥協点
著者等紹介
服部文祥[ハットリブンショウ]
1969年生まれ。登山家、作家。大学時代に登山を開始し、ヒマラヤにある世界第二の高峰K2に登頂。日本では剱岳や黒部で冬期初登攀を記録。やがて食料を現地調達する「サバイバル登山」に傾倒。現在は、生活の拠点を都会から山の廃村の古民家に移しつつ、狩猟、畑作の生活を送る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Aya Murakami
74
新刊図書館本 目次のナツの妊鹿殺しというパワーワードがいきなり飛び込んできた。よくよく読んでみると(これから起こりえる)フィクションということが分かるのですが。日本中どこであっても犬の放し飼いは禁止だそうです。そういえばウチのアル中ジジィが地元猟友会のワン公に噛まれたという話を思い出しました。 カマドにも文化カマドというものがあるのですね。カマドはカマドだろうと思っていたのが恥ずかしい。カマドの燃料には松葉というのは祖父から聞いたなぁ。2023/02/18
けんとまん1007
59
自分で手をかけること、手間をかけることの意味を考える。一つのものを手に入れる手段は、いろいろある。例えば、野菜・果物一つを考えてみる。お金で買うこともできるし、自分で作ることもできる。そこで、考え方が大きく異なる。自分自身を考えると、自分で手をかけることを、厭わないほうだと思う。それは、日々の過ごし方に通じるし、それを通した周囲の状況・環境を考えることでもある。自分が主体であるかどうかだと思う。2023/08/17
Shoji
30
廃村となった里山の集落の廃屋を少しずつ手入れして、自給自足のSDGsな生活を実践する様を描いています。ノンフィクションです。廃村がゆえ、電気・ガス・水道のインフラまでもが自給自足です。著者は文筆業ですから、PCやネットワーク環境が必要です。そこは、文明の力を享受しています。この本のいいところは、たとえ最低限でも生活するうえでは、社会保険料や税金は必須であることや、国民年金の掛け金の考え方など、現実問題をきちんと解説している所です。いい本だと思います。2024/03/22
まさ
26
タイトルに興味を持ち読んでみた。自給自足、買わない生活は目指していきたい方向である。一方で、服部氏の二拠点生活に都合よさも感じてしまい、関心度合いは高いもののもう一歩入り込めなかった。拠点取得の流れも著者の認識も甘いような…。生活上での地元の人たちとのやり取りがほぼ出てこないので、集落としてのこれからを勝手に気にしながら読み終えた。工夫次第でやっていけるし、"そもそも"を探れば見えてくるものもたくさんある。このライフスタイルはまさにそうなのだ。これから拠点を移すようなので、これからの生活が楽しみですね。2023/08/26
月をみるもの
21
「(この世に生まれ出たときすでにほぼできあがっていたのが)学校で勉強して社会人になって働き、 老後を過ごして死んでいくという社会である。大人になったときに、どんな職業に就くかは自由だった。 でも、働くことは最初から決まっていた。私は、日本人になることをいくつかの選択肢から自分で選んだわけではない。生まれ出るか出ないかは選べず、気がついたら意識ある存在としてこの世の中に存在していた。自分の境遇は選べない。気がついたら、人間だった。そして日本人だった。 希望したわけでも頼んだわけでもない。でもそうなっていた→2022/12/29