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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
29
顔とは一つの強力な組織作用なのだ。顔とは、四角や丸の中に、特徴の集合全体、顔貌性のさまざまな特徴(傍点)をとらえ、包摂し、意味性と主体化に奉仕させる(53頁)。未開社会には、すでに数多くの権力の中心がある。国家機構をもつすべての社会に権力の中心がある(傍点、103頁)。上巻にもあった官僚だが、官僚的な切片化、役所の柔軟性と疎通、官僚政治の倒錯、行政上の規則と矛盾する不断の創造力もまた、確実に存在する(108頁)。逃走線は一種の突然変異、一種の創造。2021/06/11
evifrei
22
脱領土化・逃走線・生成変化というミル・プラトーの鍵となる概念を扱う。分析されていない概念を噛み砕き分析する事で一種の罅が入り、そこから逃走線が引かれる。この逃走線により、我々は行き詰まった生からの鮮やかな逃走を繰り出すことが可能となる。逃走線上に表れる顔貌性という機械。対峙する者同士が二組のホワイト・ウォールと目と口からなるブラック・ホールにより構成される機械と化す。ブラック・ホールの中でこそ我々は情動性を解放することができる。また、逃走による生成変化により、我々は人間から動物へ、そして『強く』なる。2020/05/08
34
21
区別し分類すること。そして事実におけるそれらの混淆を指摘すること。XとYの概念上の区別が厳密になると、事実Aにおけるそれらの混淆は必然的になる。こんな哲学が、どうしたら正しかったり、正しくなかったりできるのだろう。ここでは哲学の正しさの問題は、実践と知覚の問題へと折り返されている。差異を知覚できるようにすること。そのためには理解しようとするより、まずは感じるべく待ち受けなければならない。近代人のなかに群れる遊牧民。人間のなかに生きる動物。言語活動そのものに内在的な動物的知覚。そして少女と宇宙の方へ!2018/06/18
wadaya
11
二十代の前半に書いた小説がある。作中にブラックホールとホワイトウォールを存在させ、身体(顔の無いもの)を扱ったもので、それはドッペルゲンガーと分裂症がテーマだった。ミルプラトーの中編はまさにそこから始まる。上巻では丁寧にシニフィアンとシニフィエの関係について述べていた。アレンジメントと逃走線とは何か?簡単に言うとアレンジメントとはシニフィアンはそれ自体に意味など無く、アレンジメントされた形で受容体としての受け手の解釈だけが存在するという内容である。逃走線とは別名アレンジメント曲線。アレンジメントされた→2021/02/07
koke
6
中巻は分量が多く、文学や音楽を扱う「マイナーな章」を読むうちに何を言っているのか分からなくなってくる。読みどころは生成変化を論じた「10 強度になること、動物になること、知覚しえぬものになること……」。なぜドゥルーズ+ガタリが「動物になること」を推奨するかと言えば、「伝染」によって発達する動物の群れが、国家や家族のような組織を外から揺るがすから。たとえば、ハンス少年が「馬になること」を許さなかったフロイトをドゥルーズ+ガタリは批判する。家族制度の息苦しさからの逃げ道がそこにあるからだろう。2022/04/27