内容説明
カルパチアの保養地で毛皮の似合う美しい貴婦人と出会った青年は、残酷なヴィーナスに足げにされ鞭打たれる喜びを発見する。二人はフィレンツェに旅し、青年は婦人の奴隷になる契約を結ぶが、彼女に接近するギリシア人の出現に新たな苦悩の快楽を体験する―マゾヒズムの性愛を幻想的な世界に昇華させ、サドと並び称されるザッヘル=マゾッホの傑作長編小説。
著者等紹介
ザッヘル=マゾッホ,レーオポルト・フォン[ザッヘルマゾッホ,レーオポルトフォン][Sacher‐Masoch,Leopold von]
1836‐95年。オーストリアの東端、帝室領ガリツィア生まれの作家。マゾヒズムの語源を生み出した代表作である『毛皮を着たヴィーナス』のほか、短編集『残酷な女たち』と、『密使』『ガリツィア物語集』『コロメアのドン・ジュアン』など故郷ガリツィアや東欧を舞台にした多数の歴史小説を残した
種村季弘[タネムラスエヒロ]
1933年、東京生まれ。東京大学独文科卒。ドイツ文学者、翻訳家、エッセイスト
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
108
クラフト・エビングの造語マゾヒズムの本家、マゾッホの代表作。本編の主人公ゼヴェリーンがその体現者なのだが、彼にあってはマゾヒズムは「毛皮を着た」フェティシズムと分かちがたく強固に結びつくようだ。また、彼の最愛のヴィーナスたるワンダの論理や行動はサドに通じるものだろう。ただし、サドの小説の主人公たちが天性のサディストであるのに対して、こちらはマゾヒストたるゼヴェリーンが造り出したという感があり、徹底性を欠くとも言えるが。また、18世紀のサドに対して、マゾッホは19世紀と思想史の上でも差異が感じられるようだ。2013/10/30
青蓮
98
「マゾヒズム」の語源となっているマゾッホの性愛小説。どんな物か興味があったので読んでみましたが、ゼヴェリーンの我が儘放題の話かな、という印象。「毛皮を着たヴィーナス」こと、ワンダも彼に付き合って鞭振る冷酷な女王様になるけれど、なんだかそれも不憫。サド/マゾごっこって、お互いに強い信頼関係がないと成り立たないんだなぁと思いました。そう言う意味ではゼヴェリーンとワンダの関係は脆かったのかもしれません。近年、映画になったようなので、そちらも見てみたいです。2015/12/23
ケイ
95
ヴィーナスは、ただ毛皮を羽織っていればいいようだ。その着方にエロスは求めるものではなく、自分を鞭打つときに羽織っていて欲しいと言うのが、マゾという人たちなのだろう。彼らは注文が多い。自分を苛んでくれ、縛って鞭打ってくれ、酷い目にあわせてくれと懇願し、なのに倒れる一歩手前で優しくしてくれと願うのだ。そして、自分を罵る相手には、美しくいることを要求する。面倒臭いなと私は思う。2015/05/21
zirou1984
51
サドから生まれたサディズムとマゾッホから生まれたマゾヒズムとは相互補完的な様で実は決して相容れないんじゃないか、というのが読了直後の感想。前者が快楽の追求の為に哲学的に内省し、その体系によって他者を物化するのに対し、後者は快楽の為に己を物化しながらも、他者を自己の願望を達成するための奉仕者へと創り変え、奴隷こそが従者たろうとする反転した支配欲と関係欲求がその源泉にあるからだ。文章も表現描写も予想以上に滑らかな本作は束縛と献身が交差する物語であり、想像以上にバカップル感のある二人には驚くばかりであった。2015/02/09
みや
41
美しい貴婦人に奴隷として扱われる喜びを知った青年の恋物語。マゾヒズムの語源となった作家として、ずっと気になっていた。最後まで嫌悪を一切感じなかった恋愛小説は初めてかもしれない。二人で築き上げていく独特な関係性や紡がれる言葉に何度も共感し、憧れた。愛し愛されるより、情け容赦なく心も体も蹂躙し蹂躙される至福は甘美で尊い。恍惚とした。文字通り「命を懸けた」愛は狂気に満ちて、滑稽で、歪で、美しい。一回目の鞭打ち場面は特に興奮した。マゾも受け身で待つだけでなく、積極的にサドを育成しなくてはならない。深く学びを得た。2017/11/03