内容説明
戦後をつうじて人びとの心をとらえ続けてきた1964年の東京オリンピック。この国民的「お祭り」は、いかにその舞台が整えられ、演出され、現在に至るまで再演されてきたのか―。東京五輪2020を経て、改めて根底から問い直す。
目次
序章 東京五輪という呪縛―シナリオが綻びるとき
第1章 ポスト戦争としてのオリンピック―舞台(軍都からオリンピックシティへ;五輪開催と軍用地返還―もう一つの日米交渉 ほか)
第2章 聖火リレーと祭典の舞台―演出(聖火、沖縄を走る―「祖国復帰」への象徴演技;神宮外苑にいたる道程―聖火リレーというもう一つの巡幸 ほか)
第3章 メダリストたちの日本近代―演技(マラソンランナーの悲劇―兵士から国民的英雄へ;「東洋の魔女」の伝説―殖産興業の末裔たち ほか)
第4章 増殖する東京モデル―再演(ソウル1988―成長するアジアのドラマ;北京2008―繰り返される成長のドラマ ほか)
終章 ドラマトゥルギーの転位―「速く、高く、強く」からの脱却を
著者等紹介
吉見俊哉[ヨシミシュンヤ]
1957年、東京都生まれ。東京大学名誉教授。國學院大學観光まちづくり学部教授。専門は社会学・都市論・文化研究・メディア研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
おやぶたんぐ
6
五輪(オリンピック)や万博それ自体の意義は又別論として、それらをあえて誘致する意義は何なのか。過去から現代まで広い視野で示される著者の見解には賛否あろうが、「お祭り」のため、誘致した地域に大量の資本を投入して“開発”を行い、それを起爆剤として“発展”していくー著者のいう「お祭りドクトリン」がそうしたものであるならば、もはやパラダイムレベルでの変化が生じている中で、なおしがみ付くに足るものなのか、が問われなければならないことは間違いないのではないか。2025/04/19
辻井凌|つじー
2
1964東京五輪を読み解くと日本が見えてくる。日本人の気質、近世や近代からの歴史のつながり、日本の病理などを五輪起点で明らかにしていく。スポーツはあらゆる分野と関わり作用しあっている。次々と謎解きを読んでいる気分だ。著者の言い回しも効いている。2024/10/27
がんちゃん
1
2回目の東京オリンピックと大阪万博、さらに戦前の各々の計画。そしてソウルから北京への流れも良くわかる。聖火リレーがナチスドイツのベルリン大会から始まって、今も続いていること。軍事施設の跡地にスタジアムが建設業されていること。歴史の中で五輪や万博の意味を考え、果たして今も必要なのか、本気で考えて欲しい。東京もパリも見てないし、大阪万博にも行きません。2024/09/04
-
- 電子書籍
- 女子かう生(1) アクションコミックス