出版社内容情報
1950年代水俣と2011年福島。企業と国家によって危機に陥れられた2つの悲劇を絶望と希望の狭間で語る対話集。
内容説明
水俣と福島―六〇年の時を経てふたつの土地は共振している。非人間的な国家や企業運営の果てに訪れた破局と、危機に晒された人間や動植物の命。わたしたちが立ち返るべき場所はどこにあるのか?繰り返される人為的悲劇のなかで、しかしその彼方にひらく一輪の花の力を念じつつ語り合った渾身の対談集。
目次
1日目(2011年6月13日)(滲む紙;猫好き;減る猫 ほか)
2日目(2011年6月14日)(女水男水;石山;金肥 ほか)
3日目(2011年6月15日)(書;もてなし;石牟礼家の食卓 ほか)
著者等紹介
石牟礼道子[イシムレミチコ]
1927年熊本県生まれ。詩人、作家。著書に『苦海浄土(三部作)』『西南役伝説』『あやとりの記』『十六夜橋』『食べごしらえおままごと』『石牟礼道子全集 不知火』ほか
藤原新也[フジワラシンヤ]
1944年福岡県生まれ。写真家、作家。著書に『印度放浪』『全東洋街道』『東京漂流』『メメント・モリ』『黄泉の犬』『日本浄土』『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』『死ぬな生きろ』『書行無常』ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Noribo
8
水俣と福島を題材にした2012年の対談。水俣病と原発事故に共通点が多い。チッソも原発も国策事業でありながら重大な汚染事故を起こした。水俣では有機水銀の川への廃棄をすぐには止めさせず、福島では原子炉のメルトダウンを隠し続け、国は国民を欺いてきたことだ。水俣では「会社」とはチッソを指し市民のほとんどが「会社」の恩恵を受ける企業城下町。一家四代全員が発症した家があることや若い人を中心に新たに発症者が出ていることなど美智子上皇后様が「日本の宝」と呼ばれた作家の石牟礼道子さんが語る言葉は重く背筋が凍る思い。2023/08/22
Yuko
8
< 1950年代を発端とする水俣、そして2011年の福島。企業と国家によって危機に陥れられた2つの土地の悲劇を、目撃者である石牟礼道子と藤原新也が語り合う。> 2012年 東日本大震災3ヶ月後に行われた二人の対談。石牟礼道子さんが見た水俣と藤原新也さんが見た福島―それは偶然起きた不幸な出来事ではない。絶望的状況にもわずかな希望を持ち続け言葉や写真にしてきた二人。「たとえ明日世界が滅びようと、わたしは今日、林檎の木を植える」(マルティン・ルター)の言葉がしみいる。 2020/08/12
Melody_Nelson
7
石牟礼道子さんについては、テレビでドキュメンタリーを見たことがあるくらいで、社会派の人、という認識くらいしかなかったのだが、本書で表現者のしての素晴らしさと、可愛らしいともいえる人間性を知る。水俣から福島、変わっていない日本人の愚かさ。彼らの発言は重い。しかし本書では、自然の話や、石牟礼さんの幼少期に聞いた「物語」などにうっとりすることしばしば。石牟礼さんの話す水俣の言葉も良い味を出している。「苦海浄土」読んでみようかな。2020/12/20
ryohjin
7
「水俣」を語る石牟礼道子さんと「原発」を語る藤原新也さんの震災3ヶ月後の対談です。石牟礼道子さんの語るかつての水俣の生活や自然の話に心惹かれます。この豊穣な世界が壊されてしまったということなのですね。震災による原発事故でもまた同じことが繰り返されてしまった。この世界の中で何を大切にしていかなければならないのかを考えさせられました。2020/04/25
菊田和弘
5
ある田舎に「会社」がやってきた。最初は電力会社だとは知らなかった。化学肥料を作るようになり、庶民の会社信仰は高まるばかり。そこにメチル水銀が垂れ流され続けた。実に34年もの間。まだ訴訟は終わっていない。問題の構図は福島の原発事故と瓜二つ。歴史は繰り返す。学ばなければまた繰り返す。水俣病患者が言う。「知らんちゅうことがいちばんの罪ばい」 なんて罪の多い時代になってしまったのだろう。対話を続けることだ、と思った。どちらか一方を正解とするのではなく。2024/03/23