出版社内容情報
余という一人称には、すべてを乗りこえている感じがある。これでいこう――超然者として「成長してゆく」余の姿を活写した傑作長編。
町田 康[マチダ コウ]
著・文・その他
内容説明
どうにも世間並に生きづらい男が、自らを「余」と称し、海辺の温泉地田宮の地で超然の三昧境を目指す。降りかかる人生の艱難辛苦。人間的弱さを克服し、成長する余の姿を活写する傑作長篇。
著者等紹介
町田康[マチダコウ]
1962年、大阪府生まれ。97年『くっすん大黒』で野間文芸新人賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞、2000年「きれぎれ」で芥川賞、01年『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞、02年「権現の踊り子」で川端康成文学賞、05年『告白』で谷崎潤一郎賞、08年『宿屋めぐり』で野間文芸賞をそれぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ふう
79
何かを壊したい、何かから離れたい、何かを乗り越えたい、せめて気持ちの上では…。でも、そうやって超然と孤高に生きても、それが何なのと、長い長い思考と言葉のせめぎ合いの後に気づいた「余」。最後に余が持っていたものは、つまらない食料品がいっぱいつまったスーパーの袋だったという、言葉が軽く回っているようでけっこう重いものが迫ってくる作品でした。『空は鉛色。~ 大丈夫。余は元気だ。ただ過ぎていく一さいのなかで光を浴びて余はいつでも元気だ。』読み終えてわたしも思いました。どつぼにはまっていても、わたしも元気だと。2017/11/09
Mayuzumi
36
「田宮に住みたいと思った。理由なんてない」著者独自の境地と言うべき、小説ともエッセイともつかぬ、紀行文チックの散文集。語り手のぶつかる現実と、そこから生じ、いつも極度に肥大化してしまう己の思弁とのギャップが、持て余しぎみに語られるという、お馴染みの様式であるが、その繰り返される様式から、マガジン感覚に、自分だけのお気に入りのひとつを探し出す娯しびにこれは満ちている。例えば、カガエルステーションの謎。NO MUSIC, NO LIFEの解釈。Confusion will be my OHITASHI*。2017/06/19
Y2K☮
34
何ということでしょう。私小説と旅エッセイと抱腹絶倒な妄想がひとつのジャンルに。見間違い聞き間違い思い込みらしき経験を作品に昇華する技が誤読から発想をジャンプさせた唐十郎と重なる。結局、この普通九割特別一割が混ざり合ったカオスな日常こそ最高級の芸の素材なのだ。勿体ぶった取材など要らん。読みたいものを読み、行きたい所に行き、やりたい事をする。それが結果的に取材。そもそも大事なのは素材の質ではなく、調理して転生させる腕。そんなの芸術じゃねえ? どっちでもいい。お金を出して読む人が決めるべし。ほほほ、これ傑作だ。2019/08/29
chanvesa
23
特に主題があるのかないのかよくわからないまま、堅苦しいような面白い文章が続く。読んでて笑ってしまう箇所もたくさん。実験小説みたいな感じか。ふれあい祭に来ている親子の竹とんぼをめぐる会話が好き。2018/02/03
chie
20
積読本だったけれど、今のコロナ禍の世の中とタイトルが結びついてしまって、読む気になった。町田康さんは、心に浮かぶ見えない敵(?)を掬い取る名人だと思う。その獲物に対しての私論=妄想の入り混じった分析がえんえんと繰り広げられる様が、まさにどつぼ。そしてその論には、あくまで自意識の中の論なのだという謙虚さが含まれている様にも思えた。2021/01/08