出版社内容情報
人はなぜ暴力を憎みながらもそれに魅せられるのか。歴史的な暴力論を検証しながら、この時代の暴力を考える、いまこそ必要な名著。
内容説明
暴力は生と政治にどうかかわるのか。ファノン、アレント、ベンヤミンなどの暴力論とガンディー、ブラック・パンサーなどの実践を総括するなから暴力と非暴力を根底から考察し、それらをこえる反暴力をラディカルに構想する名著をアップデートして復活。この時代の新たな戦争/暴力に向かうための激烈なる思考。
目次
第1部 暴力と非暴力(暴力という問題の浮上;暴力と非暴力;敵対性について)
第2部 反暴力の地平 主権、セキュリティ、防御(セキュリティ―恐怖と暴力;防御と暴力―「ポスト人民戦争」の政治?)
補論 ヘンリー・デイヴィッド・ソローと「市民的不服従」について
著者等紹介
酒井隆史[サカイタカシ]
1965年生れ。社会思想。『通天閣 新・日本資本主義発達史』でサントリー学芸賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
1959のコールマン
61
☆4。文庫の裏表紙の説明が内容と合わない。「暴力と非暴力を根底から考察し、それらをこえる反暴力をラディカルに構想する」とあるが、中身を読んでもそんなにスキッとしたものではなく、「なんとなくこんなんではないかな?」と読者に放り投げたような印象。論点もあっちゃこっちゃに飛ぶし・・・。「お前の読み方がなっちょらん」と言われればそうかもしれないが・・・。権力の「物理的強制力」から「民間暴力」まで幅広い「物理で殴る」ことをまず細かく論評し、その上でしち面倒くさい論理展開をしている努力は大いに買う。↓2020/11/29
白義
20
暴力はいけないことだ、と誰もがいう。しかし、暴力はいけないことだ、という言葉は必然的に、だから暴力を振るうものに暴力を振るっていい、とか、暴力に訴える弱者は愚かだ、という抑圧の論理にもなりえる。暴力はいけないという思考停止を乗り越えて現代の暴力の諸相を分析する労作。テロリズムの分析で、テロリズムの生み出す恐怖を権力側は更に利用してその権力を増大させる、という分析は鋭い。恐怖が膨れ上がり、事なかれ主義的なシニシズムが支配する世界に反暴力という暴力の可能性を模索するスリリングな一冊だ。危うさはあるが必読だろう2019/01/15
ネムル
14
こちらの知識不足か上手く内容を読み取れない点もあるのだが、いまの世の生きにくさと気持ち悪さが明瞭になる。良書。特に擬似非暴力社会を脱し、暴力/非暴力について考える/話し合うことが、暴力/生きる力の肯定を取り戻すことになる、という点で非常に有意義な読書だった。暴力はいけませんという毒にも薬にもならない金言で人民から巧妙に牙を抜く構図と、主権による暴力の独占、不可視な非暴力の具現化と後に消滅するものとしての暴力/反暴力の試みなどを興味深く読む。2018/05/22
恋愛爆弾
13
ブックガイドとしてなら多少は有用だが、マジでやるなら、もう勝手にしなさい。私は寝る。2024/01/22
よきし
12
暴力の拒絶はかえって暴力を呼び込んでしまう、という問いから始まる暴力論。けっこう難しかったが、本当に刺激的な議論が展開され、暴力の構造、暴走、非暴力を制度に回収させないための反暴力という地平という視点まで含めて、大いに学びのある本だった。すぐに2周目に入りたいほど。ソローについての補論もよかった。生きるということが暴力からは逃れられないということをきちんと認めた上で、サパティスタが提示したように、アナキズム的に制度的暴力を解体していく方法を今こそ真剣に取り組んでいく必要があると痛感する。2023/03/27