内容説明
「それは“岸辺のない海”と名づけられるだろう。永遠に欠如した永遠に完成することのない小説を、彼は書きはじめるだろう」―孤独と絶望の中で、“彼”=“ぼく”は書き続け、語り続ける。十九歳で鮮烈なデビューをし問題作を発表しつづけてきた、著者の原点ともいえる初長篇小説を完全復元。併せて「岸辺のない海・補遺」も収録。
著者等紹介
金井美恵子[カナイミエコ]
1947年、群馬県生まれ。67年、『愛の生活』が第3回太宰治賞次席となり小説家デビュー。同年、第8回現代詩手帖賞受賞。小説に『岸辺のない海』、『プラトン的恋愛』(第7回(79年)泉鏡花文学賞)、『文章教室』、『タマや』(第27回(88年)女流文学賞)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
162
金井美恵子の初期長編。「ドラマの要素のある生き方」を「うさん臭い」という著者のドラマのない小説。プロットもあるような、ないようなだ。「彼」と書かれる客観体での語りと、「僕」の手紙とが交錯するが、そもそも「きみ」とは誰なのだ。読者?…ではない。それは最初から不在なのではないか。「岸辺のない海」は、どこにもたどり着かず、時空さえも定かではないままに、永遠の現在時が書き続けられる。それは、いくら「補遺」を重ねても終わることはない。金井美恵子が小説を書き続け、私たち読者がそれを読み続ける限り。2014/11/15
踊る猫
31
疲労と倦怠。もしくは語りたいテーマを暑苦しく語るのではなく、しかし黙っていられないから(それは、生きている限りぼくたちがなにかを認識し反応してしまうのと同じだ)書く。改めて読むと非常に肉体と絡めた表現が多いことに気づかされる。事故やセックスや死が強迫観念的に扱われ、肉体がもたらす快楽とそれが消滅することで無になる儚さについて綴られる。金井美恵子と言えばもちろんエクリチュールがどうとか観念を弄ぶ書き手というイメージがあったのだけれど、実は肉体派の側面があるとも思われる。彼女にとって書くことはマラソンである?2020/07/12
tomo*tin
29
眩暈がするような濃密さである。不安定で曖昧な存在、それゆえに起こる葛藤、諦念、孤独。コップに満杯に注がれた感情が言葉を介して溢れ出る。けれど果たしてこの世に「正しく」伝わる言葉などあるのだろうか。私が発した言葉を、誰かが発した言葉を、当人の思いに寸分の差異も無く「正しく」理解するなど、幻想以外の何物でもない。幾らでも面白いように言葉は擦れ違う。美しくもおぞましい海に岸辺などない。けれど人は言葉を欲する。航海を続けるために。静かな狂気がとぐろを巻く圧倒的な物語でした。2009/09/14
ちぇけら
17
肌色の薄いストッキングが彼女の足を滑る。ぼくらは塩素のにおいのするシーツにしみこんでいた。だが、それがなんだというのだ?ぼくは終わらない小説を書いている。まるで岸辺のない海のような。あてのない人生の満干。ぼくは書き続ける。そして語り続ける。誰も読むことのない物語を。ぼくは砂浜に埋もれたひとつぶの砂。ぼくははじめから存在しない。けれどあらゆるものがぼくでありきみだ。孤独と絶望がすべてであり、すべてではない。ぼくはこの物語を何度も読むだろう。あるいは二度と開かないだろう。それぐらい、大切な小説になった。2019/02/01
あ げ こ
15
たまらない。息が詰まりそうになる。囚われ続ける、彷徨い続けると言う至福。書く事。書き続ける事。書き始める事。今再び。繰り返し。その不可能性。終わりのなさ。果てのなさ。迷宮めいている事。悪夢めいている事。触れれば触れるほどに、わからなくなって行く。明瞭さを、確かさを失って行く。踏み出せば踏み出すほどに、遠ざかって行く。広がり、深まって行き、見失ってしまう。孤独で不毛で、恐ろしく困難な試み。際限のない、試みであり、欲望。熱っぽくて、憂鬱で、重苦しい。思い詰めていて、執拗で、妄執じみている。その際限のない事。2019/04/05