内容説明
師に同じ演目を先に話されたことから、新作を始め、自らの媚びを嫌い、生地だけの素話に活路を求めた円朝だが、大看板の人気にも翳りがきざした。上方へ修業に出、自分を離れて芸はないと得心したことから、八丁荒しの大評判とともに江戸に戻る。運命の女性、禅との出会いの中で、維新後の芸道と人生の困難を切り拓いていく。
著者等紹介
小島政二郎[コジママサジロウ]
1894年、東京下谷生まれ。作家。慶應義塾大学国文科卒(後に講師)。永井荷風に傾倒して文学を志す。芥川龍之介、菊池寛らと交流を結び、作家の道へ。評伝、交流に基づく文学史的小説と、大衆ベストセラー小説、食通エッセイで活躍した。1994年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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たつや
43
流石の名人円朝も実の息子が英語の学校を卒業しても、大酒のみで遊んでいては、勘当せずにはいられなかったのでしょうね。同情します。高畑敦子さんと、みのもんたさんを思い出しました。、2016/11/21
へいがぁ
4
朝太郎の放蕩ぶりが冗長に感じましたが、円朝の凄さを余すところなく描いた秀作だと思います。2015/10/12
文句有蔵
4
芸とは何か。どんなに巧くとも、客が認めなければ名人上手とは言われない。ではどんなに不味くとも、客が認めさえすれば名人なのか。しかし世の玄人衆満場一致の名人がいたとして、客が呼べない芸を「芸」と言うことが許されるのか。「落語家あっての寄席で、寄席あっての落語家ではない」と円朝は言うが、それは不動の人気があって言えるのであって、それが証拠に席亭抜きで客を呼ぼうと企む。自分達で寄席を持とうとした以上、「寄席あっての落語家」と決着している。それに気づけなかったのは、円朝が自分の芸に溺れていたということか。2015/02/17
OMO
1
面白さ:○ 興味:○ 読みやすさ:○ 新鮮さ:○ 文学的云々:×2022/12/17
Darbytime
0
幕末から明治で活躍した落語家の一代記。上巻で上り詰めるところまで上り詰めてしまっているので、下巻がちょっとだるい。今度は牡丹燈篭を読もうと思う。2014/06/06