内容説明
切断したはずなのに、足のあった場所が痛む…。世にも奇妙な現象“幻肢痛”と付き合いながら、視界の外に広がる世界を思索する4年間の記録。
目次
第1章 幻肢痛の当事者研究(右足を切断しました;無いもののあり方 ほか)
第2章 幻肢という「不確かさ」(幻肢は宇宙でも足のイメージを保つのか?;幻肢という「不確かさ」 ほか)
第3章 踊り出す義足(義足は乗り物;義足が知りたい ほか)
第4章 身体が無くなる可能性(新しい移動と“できなさ”について;戦略的なあいまいさ ほか)
第5章 わからないものをわからないまま(キカイダーありがとう;幻肢性と飛躍 ほか)
著者等紹介
青木彬[アオキアキラ]
インディペンデント・キュレーター。一般社団法人「藝と」ディレクター。1989年、東京都生まれ。首都大学東京(現・東京都立大)インダストリアルアートコース卒業。アートを「よりよく生きるための術」と捉え、アーティストや企業、自治体と協働して様々なアートプロジェクトを企画している。近年は社会福祉とアートの接点を模索しながら、地域福祉に関する調査や実践を重ねる。これまでの主な活動にまちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち」(墨田区、2018~)ディレクターなどがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
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Roko
33
失ったはずの足の痛みを感じることで、その存在を思い出すことがある一方で、失われた聴力に関してはずっと気づかずにいました。「無いものの存在」との関係は、人それぞれだし、誰かに話してわかってもらえるというものでもありません。でも、その存在と共に生き続けることが自分を知ることの一つなのかもしれません。4年に渡る青木さんの日記は、同じようなことを体験するかもしれない誰かにとって、とても貴重なものになるのでしょう。2025/02/04
よしじ乃輔
14
現代アートに関わる仕事と右足切断という経験を重ね合わせて「無いものの存在」として幻肢痛の思考実験を行った著者の記録。右足を失った後は「幻肢という想像力との共生」と語り、義足を乗り物と捉えてみる柔軟さ。この方しか持ち得ない感性だけれど、医学的な目線だけでは生まれない新しい記録は新鮮でもあり、自ら窮屈な枠に囲い込まなくてもよいとも思えました。2025/01/11
たっきー
14
30歳で右足を切断した著者が、切断してから4年間足の感覚や状態等を記録したもの。べてるの家の当事者研究を思い出す(実際に参考にされたよう)。それだけではなく、著者の職業が独立型のキュレーターでもあることからのアート視点的な見方、哲学的な見方といろいろな視点があって興味深い。タイトルから福祉・医療関係者が興味をもつことが多そうだが、アート・哲学に関心ある方にも是非読んでほしい。「世の中には自分のルールや客観的な事実だけでは割り切れない当事者にとっての真実がある」。これは専門職が本人よりも本人のことを理解→2025/01/09
ごまだんご
6
病気で右足を切断することになった方の手記。以前から予定していたもので楽しみですらあったとあり、前半は唯一無二の体験記として読める。当事者としての「障害者」の言及はなるほどと思えた。2025/01/18
さちこ
6
想像も出来ない事が知れた。2024/11/21