絶滅への渇望―ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム

個数:

絶滅への渇望―ジョルジュ・バタイユと伝染性ニヒリズム

  • ウェブストアに1冊在庫がございます。(2024年04月24日 11時26分現在)
    通常、ご注文翌日~2日後に出荷されます。
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
    ◆別冊解答などの付属品はお付けできない場合がございます。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 46判/ページ数 407p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784309231112
  • NDC分類 950.28
  • Cコード C0010

出版社内容情報

バタイユの読解を通じて、ニヒリズム/ペシミズムとしての〈哲学史〉を再構築し、人間を廃絶した先の世界を立ち上げる究極の無神論。

内容説明

バタイユ読解を通じて、ニヒリズム/ペシミズムとしての“哲学史”を再構築し、資本主義や人間が廃絶した先の世界を立ち上げる究極の無神論。進歩主義、多文化主義、ヒューマニズム、平等主義など近代の民主主義的イデオロギーを根源から否定し、「加速主義」の始まりを高らかに宣言する、最も危険でダークな思想。

目次

「健全な哲学の死」
太陽の呪い
侵犯
復活祭
死せる神
妬みぶかい時間の激怒
牙を剥くヌーメノン(サイクサロンの情熱=受難)
流動的身体(ミラーにかんする脱線)
人類の中絶=出来損ない
迷宮
結論なき交感

著者等紹介

ランド,ニック[ランド,ニック] [Land,Nick]
1962年、イギリス生まれ。ドイツ哲学研究を経て、87年にはウォーリック大学の講師に就任。90年代中頃から「サイバネティック文化研究ユニット(Cybernetic Culture Research Unit:CCUR)」を主宰。大陸哲学に留まらず、SFやオカルティズム、クラブカルチャーなどの横断的な研究に従事する。2010年代に入ると、「暗黒啓蒙」なるプロジェクトを通じて「新反動主義」に理論的フレームを提供。のちの「思弁的実在論」や「加速主義」、「オルタナ右翼」に思想的インスピレーションを与えた

五井健太郎[ゴイケンタロウ]
1984年生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はシュルレアリスム研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

14
原文の発表は1992年。「太陽」「侵犯」「死」「交歓」など、バタイユのキーモチーフでおおよそ分かれた11章構成の文章は、思ってた以上に真っ当なバタイユ論。熱病の中で主観と客観の混ざる文調は、ニーチェ〜バタイユの流れを伝えるためにはあるうべき戦略だし、ヘーゲルの進化論的な弁証法の先に絶滅をみる、カントが不可能と切り捨てる体験を(知ならざる体験として)可能だと強調する点も、バタイユの読み方として自然に思える。加速主義の文脈からどうしても色眼鏡で見てしまうランドだけど、テクストとして精読されていい本ではないか。2022/04/24

イタロー

1
「ヒューマニズム(資本主義家父長制)は、投獄されることと同じである。迷路に閉じ込められて、あきあきさせる同じ輪を歩く。ゴミのなかをぐるぐると。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると(神は傷ついたレコードだ)、私たちが前進していると思っている時でさえも、より知を得ながら。ぐるぐると、聖なるものを逃して、完全に頭のなかに追い込まれるまで。しかし、少なくとも私たちは死ぬ。」2022/09/04

 

0
確かに訳者が言うようにヘーゲル(=コジェーヴ)の影響関係を切り離してバタイユを論じているのは新鮮。それと同時にニックランドの個人的嗜好なショーペンハウアー(恐らく、それに付随してシオラン)をニーチェの傍らに置くことで、バタイユの思想をカントに対立するものとして描こうとしている。しかし、バタイユを単純にある種の過剰なアナーキーとして見ることが出来るのか、そう言う部分はランドの脱構成的な「読み」の中でオミットされている(例えば、「禁止と侵犯」というバタイユの思想の中で実は「禁止」に重点があったのではないか)2024/03/01

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/19302343
  • ご注意事項

    ご注意
    リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
    この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
    最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
    リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。