内容説明
息子は父に、父は母に、母は息子に殺意を抱く。「すばらしい中国のはなしを語る」という政治キャンペーンを逆手にとり、改革開放から取り残された家族の「声」を再構成した奇妙な物語。現代中国の闇を撃ち、発禁がつづく巨匠による最新作。
著者等紹介
閻連科[エンレンカ]
1958年中国河南省の貧しい農村に生まれる。高校中退で就労後、20歳のときに人民解放軍に入隊し、創作学習班に参加する。80年代から小説を発表。中国で「狂想現実主義」と称される長篇『愉楽』(2003)は、05年に老舎文学賞を受賞した。13年・16年国際ブッカー賞最終候補、14年にはフランツ・カフカ賞受賞。近年はノーベル文学賞の候補としても名前が挙がっている
飯塚容[イイズカユトリ]
1954年生まれ。中央大学文学部教授。専門は中国現代文学および演劇(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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藤月はな(灯れ松明の火)
60
作者が里帰り中に聞いた一家族の打ち明け話。それは家庭内で循環する殺意だった。家庭では素を出せるなんて幻想だ。「家族」という免罪符を振りかざし、家族へ礼儀を忘れ、甘え、大事な事を告げず、我儘に振舞い、侮る様も度が過ぎれば、恨みを買い、殺意を抱かれるのは当然な事だから。しかし、「いっそ、壊れちまえばいい」と強烈に自身の家庭を呪う者こそ、実際に壊そうとしないものだ。何故なら屑な自分の寄る辺がなくなるから。だからこそ、言い訳をする事で現状を維持し、倦み続ける。『中国はここにある』をフィクショナルにした普遍の物語。2024/07/29
ヘラジカ
41
貧困や格差によって生まれた卑小な憎悪の輪。しがない田舎の貧乏一家が織りなすドラマには一見して似合わなぬ誇張された題名も、四章を読み終えた頃には「これが現代中国の寓話だ」と言われているように感じてしまう。流石は閻連科と言ったところである。泥臭く眇眇たる”内輪もめ”未満の家族内紛争が、この作家の手にかかると何とも読ませる小説に仕上がってしまうのだ。特に作家が想像したとする体の最終章は美しさすら覚えるほどで、それまでの語りとのコントラストが否応なく記憶に焼き付いた。2023/12/03
ズー
18
表紙のポップな感じで、中国の面白い話をまとめた本なのかなーと思って読んでみたんだけど、全く違ってた!この雰囲気と全く真逆で驚いた。でもとても面白かった。すごく不幸で苦しい信じられない話なんだけど。事実をまじえているんだろうし、実際中国では本になっていないらしい(危険視されていて)。中国で出版されている本は夢落ち的にして誤魔化してたりしていて、いかに事実を政府などに摘発されず読者に届けることができるかに挑み続けているみたい。こちらで翻訳されている本はほぼノーカットありのままのようなのでもっと他のも読みたい。2024/09/12
鯖
18
中国の田舎を舞台に、聞き語りの態で綴る格差と貧困にあえぎ、愛憎入り混じる親子のありよう。ノーベル賞に一番近い作家とのことで発禁処分されまくりで大変そう…、大変…。なんかでも悩みのありようは日本というより人間変わらないなあと当たり前のことを思った。心中しようとしていたラスト、降りしきる雪を前に「春になったら、畑で何を作ろうか?」という父。だざおの「ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った」ってやつだ。生きる。2024/02/18
sputnik|jiu
10
なぜだか最近、連続して「語りの不確かさ」系小説ばかり読んでいる。 閻連科の元を順々に訪れ、自分の話を買ってくれと言う家族。父を殺したい息子、妻を殺したい夫、息子を殺したい母親の話が、おそろしく冗長に語られ、こいつら畢竟何がしたかったんだっけ?と何度も眩暈におそわれたが、結局のところ何も起こらないし、もちろん誰も死なない。 終章で作者が幻視する、家族のその後の物語は、何らかの悲劇を予感させるようでもあるし、中国の農村が抱えるある種の悲哀みたいなものを暗示しているようでもあり、意味などないような気もする。2024/05/15
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