内容説明
愛おしいのに、疎ましい。かけがえのない「他人」のあの子。死んだはずの親友が四年ぶりに現れて、もつれはじめる友情―。大型新人、鮮烈なデビュー作!「わたしというものは、いなかったらばそっちのほうがよかったな」死んだはずの親友・朝日からかかってきた一本の電話。時子はずっと会いたかった彼女との再会を喜ぶが、「住所ない」と話す朝日を自宅に招くと、いつしか家に住み着いて―。第171回芥川賞候補作。
著者等紹介
向坂くじら【著】[サキサカクジラ]
一九九四年、愛知県名古屋市生まれ。二〇一六年、Gtクマガイユウヤとのポエトリーリーディング×エレキギターユニツト「Anti-Trench」を結成、ライブを中心に活動を行う。主な著書に、詩集『とても小さな理解のための』、エッセイ『夫婦間における愛の適温』、『犬ではないと言われた犬』など。二〇二四年、初小説である本作が第一七一回芥川龍之介賞候補となる。新聞やWebメディアでの連載も多数。執筆活動に加え、小学生から高校生までを対象とした私塾「国語教室ことば舎」の運営を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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starbro
210
第171回芥川賞受賞作・候補作、第三弾(3/5)、デビュー作でノミネートなので、当然ながら向坂 くじら、初読です。 タイトル通り多少ややこしいですが、すんなりと読める幻想青春譚でした。 https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309032078/2024/07/26
hiace9000
115
容易く折りたたんだり、くしゃくしゃに丸めたりできぬノートのように、人と人や自分の心は収拾がつかず一筋縄ではいかない。主人公・時子の前に現れたのは、死んだはずの大親友・朝日。エッセイ『夫婦〜略〜適温』では、近いゆえに踏み込めぬ夫婦間のもどかしいまでの矛盾をコミカルかつさらりと筆にしていた向坂さん。今作で描くのは複雑に反転し揺れ動く人の心理、人のエゴや頑なで醜悪な拘りか。歓喜→憎悪、愛着→苛立ち、成長→嫉妬、罪悪感→嫌悪感、生→死、やがて愛情は殺意へ…。書名が見事象徴する人の心、それはあなたであり私であると。2024/07/31
シナモン
108
朝日って生きてるのか幽霊なのか…。 ずっと考えながら読んだ。だんだん存在感を増し、時子の生活、人生を侵食していく朝日。時子にとって朝日とはどんな存在なのか。言いにくいタイトルが複雑な時子の胸の内を物語ってる。二人はずっと一緒で良かったのかどうなのか。人に優しくってどういうことなのか。人間関係は難しい。 芥川賞候補作。文藝2024年夏季号にて読了。 2024/07/09
nonpono
92
死んだ親友が生きていた、再会、家での同居。17歳のときの交換日記。どうしてわたしはこの設定に惹かれたのか考えた。そうだ、親友ではないがわたしも似たような経験があるからだ。20代の後半くらいから東京の実家に兄弟3人で暮らした。親は秋田で商いをしていた。五部屋あったから、わたしや妹の女友達、弟の麻雀仲間の溜まり場になり、果ては妹の彼氏は短期間、弟の彼女はそのまま住み結婚した。誰かの気配や寝息や衣服の擦れる音は安心感を与えるときもあり逆も然り。本書の帯、「愛おしいのに、疎ましい(うとましい)」、うまいな。2024/10/04
ネギっ子gen
82
【ふたりぼっちだった。それでいて、あくまでひとりぼっちがふたりなのだ】題名に、文章に凄く惹かれ……。例えば、こんな記述――。主人公は感慨に耽って、<むかしはこんなふうではなかった、と時子は思う。なにを言って、なんと答えてもらっても、ふたりしてわざとおどけているようなぎこちなさがある。あんなに会いたかったはずなのに、相手が、というより前に、まず相手に接するための自分というものがつかめない。顔をあわせてはいるものの、実際のところはずっと自分のなかを覗きこんで、答えをさぐり当てようとしているみたいだった>と。⇒2025/01/25
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