内容説明
なぜ彼らは、親鸞、空海、蓮如など高僧の名句に触れることにより、自分の生き方に決着をつけられたのか?感動のエピソードと斬新な名句解釈、僧侶・作家という複眼的視点で心の在りようを綴る、渾身の書き下ろし37篇。
目次
第1章 明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは(人生の不条理を無心で受け容れよ―喫茶去(趙州)
ひとつを選び取るために、他を捨て去ることを恐れるな―選択とは、すなわちこれ取捨の義なり(法然) ほか)
第2章 極楽に行かんと思う心こそ、地獄に落つる初めなりけり(自分が為すべきこを、他人にやらせてはいけない―他不是吾(道元)
悟った者はさらに一歩を進め、悟りに磨きをかけよ―百尺竿頭に一歩を進む(『無門関』より) ほか)
第3章 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し(ありままに堂々と生きることこそ素晴らしい―独り大雄峰に坐す(百丈)
自分の目と耳で確かめたものしか信じてはならない―冷暖は我自ら量る、奴の唇皮を信ぜず(寒山) ほか)
第4章 炎は空にのぼり、水はくだりさまに流る(心の目を働かせ、自分の欠点を見極めよ―人の悪きことは、よくよく見ゆるなり、我が身の悪きことは覚えざるものなり(蓮如)
罵りも怒りも相手に与えた分だけ自分に返る―人を罵れば罵りを得、怒りを施せば怒りを得(『法句経』より) ほか)
第5章 朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり(高く評価されれば、批判弾圧されることも覚悟せよ―石は玉をふくむ故にくだかれ、鹿は皮・肉の故に殺され、魚はあじわいある故にとらる(日蓮)
真実とは、言葉や文字で表すことはできない―不立文字、教外別伝(『無門関』より) ほか)
著者等紹介
向谷匡史[ムカイダニタダシ]
1950年、広島県生まれ。拓殖大学卒業。作家。浄土真宗本願寺派僧侶。日本空手道「昇空館」館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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