目次
第1部 ま(間―日本の時空間;「間」表現の典型としての日本の庭園 ほか)
第2部 かつら(桂―その両義的な空間 ほか)
第3部 にわ(世界観模型としての庭―「うみ」のメタフォア ほか)
第4部 ゆか(ユカの現象学;能の舞台空間;能舞台の枠組み ほか)
第5部 や(正息としての建築―白井晟一論;様式の併立―堀口捨己論;技芸の伝承―大江宏論)
第6部 かげろひ(新都庁舎コンペをめぐって;ポストモダンの行方;廃墟論 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
内島菫
10
建築というある種の統合的な観点から、かつ、建築という分野が不可避的に抱え込む西洋的近代化を多分に意識した日本文化論は、本書で初めて読んだ。所々日本語がぎこちない部分もあったが、それは恐らく最初から外国語で(あるいは外国人の目で)書かれたものだろう。本書で感じた日本文化の特徴は、平面性と仮設性である。平面性の美は桂離宮の特に古書院内部の空間に代表され、仮設性の神髄は神籬に顕著である。が、この平面性と仮設性は表裏一体のものでもある。2015/08/06
kilioi
4
勤め先の方からお借りしたもの。読んでいて思うのは、建築はその人の思想なのだということ。「陰影礼賛」を思い出し、そのことを伝えると、やはり影響を与えられているとのこと。西洋の建築と日本の建築と、理想とし、融合し、また別離の道をいく、そのプロセスにおいてエフェメラが現れ消えゆく。様々な媒体、年代で書かれたものが1冊になっているので、その変遷を眺めるのもまた一興。2013/10/08
ネオジム坊
0
磯崎新は、ヒトラーの未来観について、「廃墟になっても歴史に記録されるという、西欧のあの『建築』に対する絶大に信仰を共有していたのであろう。」と述べている。未来都市は廃墟となることを免れない。『廃墟の法則』は永遠である、それはたしかに磯崎の言うとおりだろう。しかし人間が死ぬ以上、弔いとして『死後の世界』は存在するのであり、未来都市へのフェティシズムはどんな時代でも存在するはずだ。おそらく建築界における名声を鑑みると、磯崎新は、日本に生まれたのが〈不幸中の幸い〉だったと呼べるような建築家であると考えられる。 2012/04/27