内容説明
入信と懐疑と離教そして失意と虚無。文学にとって信仰はいかなる意味を持つものか?キリスト教に入信し、その後離教した有島武郎の文学を中心に、その根底に流れる「キリスト教的二元論からの逸脱」の思想を解き明かす。
目次
有島武郎・志賀直哉とキリスト教
有島武郎における「神義論」的懐疑の成立
有島武郎とキリスト教―「大洪水の前」をめぐって
有島武郎とイプセン作「ブランド」―彼のキリスト教理解の問題
武者小路実篤とキリスト教
有島武郎とキリスト教
有島武郎「一房の葡萄」の読み方について―主に「大好きな先生」に焦点を合わせて〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
澄川石狩掾
0
再読。 キリスト教を信仰する立場の著者による、有島武郎論であり、有島は「棄教」、「背教」したのではなく「離教」したのだとする。志賀直哉、武者小路実篤とキリスト教についても論じている。 筆者によれば有島は神義的懐疑論に陥り、「愛」という汎神論的な傾向に向かって行ったという。 一方、志賀直哉に対しては「「神」を意識の中心に置くような思考法」は見られず、にも拘わらず「文章の神様」、「小説の神様」とされて尊重されていることに不満げである。武者小路実篤もイエスを人間として扱い、キリストとしないことに批判的である。2020/05/19




