• ポイントキャンペーン

死ぬ練習

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ 46判/ページ数 221p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784299000255
  • NDC分類 188.84
  • Cコード C0015

出版社内容情報

永平寺で20年修行し、現在は恐山の住職代理を務める禅僧が、誰もが絶対に経験し、逃れらない「死」を綴る一冊。「死ぬこととは何か」「死の恐怖をどう克服するのか」「苦しまない死に方をするためには死をどう捉えればいいか「死の苦痛を減らすためにはどう感じながら生きていくのがいいか」といったことを説いていきます。

内容説明

恐山の僧侶が説く「不安」と「恐れ」が消え心がラクになる3つの方法!

目次

第1章 死という問い
第2章 死の語り
第3章 死の受容
第4章 力としての死
第5章 死にゆく他者の傍らで
第6章 遺された自己の損傷
第7章 仏教における死
第8章 死の今後

著者等紹介

南直哉[ミナミジキサイ]
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年生まれ。大学卒業後、大手百貨店勤務を経て曹洞宗で1984年出家得度。永平寺で約二〇年の修行後、2004年恐山へ。2018年、『超越と実存「無常」をめぐる仏教史』(新潮社)にて小林秀雄賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

さっちも

21
この本は「放下」のススメです。無常を標榜する仏教は一定の何者かであると錯覚してしまう自己を否定し、自己を投げ出し他者を先に立てて生きる「放下」こそが仏教の実践とといています。自分と他者に共通する問題に取り組むのだけれども、そこに愛や損得や友情を介在してはならない。それらは自愛に過ぎず、「他者を思い通りにしたい」という執着(自己の存在理由の確立)から解脱しつつ他者と交わるというのが放下なのかな。聖人すぎて、今の自分と開きがありすぎて難しかった2020/09/28

akihiko810/アカウント移行中

19
禅僧が、絶対にわからない「死」について考える。印象度B    私の敬愛する禅僧である著者。「仏教は死ぬ練習である」(ソクラテスからの転用)と、「死の受容」を目標に修行する。 死は経験できない以上、絶対にわからない。死についてなにか話されるのは、死後の話か、終活の話でしかない。わからないものを目指して生きていくことが、仏教的態度なのだと南はいう。南老師は、幼い頃から「死とは何か」をずっと考えてきてとうとう出家してしまったくらいなので、本書はまさに「本当にやりたかった」仕事だろう。(続く2021/06/14

さっちも

17
もう少し、今年か来年くらいで父親が死にそうだ。薄情にできていて、その事が実感として湧きにくいし、感情の揺れがあまりない。その時の衝撃に耐えられるのだろうか、今してあげるべきことは何だろうか。贅沢に与えられた時間を無為にしている。呆れるくらい、日々大量に人は死んでいる。「死」の観念は、他者の心身的崩壊を自分に引き写すことから生じる。今度はその自己の「死」を投影して他者の崩壊を見るようになる。ただ、投影が可能なのは、自己の由来の他者、つまり、自分にとって大切な他人だけである。崩壊する「大切な他人」と関わること2023/10/10

カツ

8
南さんの本にしてはエピソードも多く読み易く分かりやすかった。知らぬ間に仏教の真髄に導かれていた様な感じ。「死」を分からないものと言い、「輪廻」と「往生」をきっぱり否定するところも潔くて気持ちいい。生きるとは「死をめざして生きる」という事だ。また読みたい本である。2023/08/23

門哉 彗遙

5
南直哉氏の本をいくつも読んでいるが、なかなか自分の中に落とし込めないでいる。 誰にとっても絶対的に分からないものは「死」である。そこには「不安」しかない。しかしその「死」を受容するキーワードは他者との関わり中での、自分が生きてきた「意味」。 それは自分の損得を忘れ、人から褒められようとせず、無理矢理友達を作ろうとしないことの中から生まれるもの。要は他者の為に生きる中で生きる「意味」を見つけることが出来れば、「死」を受容できるということだろうか。2022/09/04

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/16329262
  • ご注意事項

最近チェックした商品