内容説明
ヒロシマ、ナガサキ、沖縄…いま語りつぎ、子どもにつたえる戦争の悲劇と平和への祈り。
目次
転がっていたおむすび(益田美佐子)
お母ちゃん、顔が見えない(渡辺重子)
腕白で元気だった弟(長幸子)
見つからない死体(佐々木乃文江)
辿りついて十四時間の命(平野逸三)
ゆるせない(藤尾久)
熱い、体が焼ける(堀輝人)
幽霊を追って(三保綱太郎・妻)
苦しい、殺して(岩井国次郎)
一篭のトマトでも(檀上竹男・妻)〔ほか〕
著者等紹介
秋田正之[アキタマサユキ]
明治29年(1896)3月25日~昭和50年(1975)10月2日。広島市議会議員を、昭和17年(1942)6月から昭和42年3月まで五期二〇年間務める(昭和26年5月から翌年4月まで一年間市議会議長)。昭和21年秋に結成された広島一中原爆死没者遺族会の会長を亡くなるまで務めた。その間、毎年7月に広島一中原爆死没者慰霊祭を行った。また、29年、手記集『追憶』(私家版。八六篇収録)並びに『星は見ている―全滅したヒロシマ一中一年生・父母の手記集』(『追憶』のダイジェスト版。鱒書房・昭和29年8月刊)の編集に際して中心的役割を果たした(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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有
27
あの広島の原子爆弾から9年後に集められた、広島一中生徒の父母による手記。私は戦争の日本を知らず、戦後の日本も知らない。学校の教科書数ページ程で、戦争をしてはいけませんと学ぶ。それだけで良いのか。戦争と平和を、身近に考える日本人は減り行く一方にならないか。風化されてはしまわないか。何も知らない私は戦争を全くとして現実と結びつけられない。でも、過去があっての今だとはわかる。先人が語り継いで欲しいと願う言葉。日本に生まれた身として、受け止め自分なりに考え、また語り継ぐ使命を忘れてはならない。2011/06/13
きゆやすか
1
新聞記事きっかけで。以前、単行本で見かけて気になっていたけど、そのままにしていた。この平和文庫版は手にとりやすい。ちょっとずつ読んでいこう。2020/02/12
ふたご星
1
恐らく、この手記を残されたご家族も既にご存命ではないのではないかと、推測致します。語るに語りきれないこの世での生を終えられたと同時に、愛しい我子の元へと旅立たれ、あれほど探し続けた息子、身を切るような別れをした息子ともう再会されたのではないかと想像すると、少し安堵します。原爆を生み出した人類、現在のこの国の状況に憂いてしまうばかりで、いつも言葉に表せません。2013/07/05
みゆたん
1
「夜通し呻いていた人たちは、東の空の白む頃は静かになりました。夜が明けてからよく見ましたら、みんな死んでいました。」---服も髪も燃えて、顔が爛れて目が開かなくなって、家族に会えないまま独りぼっちで暗闇の中で死んでいった少年たち。それでも死の瞬間まで日本の勝利と戦争の正当性を信じていた。数日後には戦争が終わった。やるせない。2012/08/17
ARI
0
虫の知らせというのか、8月6日の朝、「学校に行きたくないな~」と思った生徒や「今日は子供を休ませた方がいい」と思った親が多くいた事に驚いた。広島一中という学校はとても優秀な少年たちの集まりであったこと、そして、その一人一人が素晴らしい少年だったこと。。。本当に言葉がない。。。2013/07/02
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- 和書
- 英和対訳情熱の女