ウィーン・フィルとともに―ワルター・バリリ回想録

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  • サイズ B6判/ページ数 186,/高さ 19cm
  • 商品コード 9784276217935
  • NDC分類 762.346
  • Cコード C1073

出版社内容情報

ウィーン・フィルの名コンサートマスターとして一世を風靡した著者が、その80年あまりの人生を振り返った自伝。

ウィーン・フィルの名コンサートマスターとして一世を風靡した著者が、その80年あまりの人生を振り返った自伝である。特に注目すべきは、著者がコンサートマスターに就任直後の、戦時下から戦後の復興時期にかけてのウィーン・フィルの状況がオーケストラの内部から、かつてなかったほどの生々しい描写をもって語られている点であろう。四重奏団としてのただ一度の来日(1957年)の際の日本の聴衆の熱狂ぶりも記述されている。90年代に米ウェストミンスターより数多く復刻された「バリリ四重奏団」の録音によっても、著者バリリは世代を越える人気をもっており、同時期に活躍したオットー・シュトラッサー著の『栄光のウィーン・フィル』(弊社刊)が絶版となっている現在、ウィーン・フィル・ファンにも非常に興味ある一冊となろう。
全編にわたり著者所蔵の貴重な写真を数多く収めた。

本書は……
はじめに
オーストリア共和国~相次ぐ改革
転機の一年
夏、涼を求めて
運命の日~一九三八年九月一日
日記
新しい門出
終戦後最初のシーズンを迎えて
愛しきザルツブルク
バリリ四重奏団
カルテットと南米へ
世界をめぐる弦楽四重奏団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の楽団長として
悲痛な音
教育活動
愛する家族
プレスバウムの家
三人の息子たち
旅は人生を豊かにしてくれる
再び日本へ
わたしのフランス生まれの恋人
訳者あとがき
年譜

【著者紹介】
ヴァイオリニスト。1921年ウィーンに生まれる。1934年ウィーン国立アカデミー(現ウィーン国立音大)卒。1936年、ミュンヘンでソリストとしてデビュー。1938年、ウィーン国立歌劇場管弦楽団およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。1940年より両楽団のコンサートマスターを務める。1945年、ウィーン・フィルの同僚たちと「バリリ四重奏団」を結成し、オーケストラ活動と並行して、1959年頃まで精力的に録音や世界各国へのコンサートツアーを行う。1967年、ウィーン・フィル楽団長に就任。1973年に引退、後進の指導へと活動の中心を移す。1986年、ウィ-ン音楽院教授の職を退き、ウィーン楽友協会理事に就任、現在に至る。

内容説明

戦渦をしのいだ名門オーケストラ団員たちの知られざる苦闘。往年の名コンサートマスターが証言するウィーン・フィルの「戦争と平和」。

目次

オーストリア共和国~相次ぐ改革
転機の一年
夏、涼を求めて
運命の日―一九三八年九月一日
日記
新しい門出
終戦後最初のシーズンを迎えて
愛しきザルツブルク
バリリ四重奏団
カルテットと南米へ〔ほか〕

著者等紹介

バリリ,ワルター[バリリ,ワルター][Barylli,Walter]
1921年ウィーン生まれ。5歳からヴァイオリンを弾き始め、ウィーン国立アカデミー(現ウィーン国立音大)に学び、その後ミュンヘンでロイターに、さらにウィーンでマイレッカーに学ぶ。1936年、ミュンヘンでソリストとしてデビュー。1938年、17歳にしてウィーン国立歌劇場管弦楽団およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団。1939年、両楽団の第1コンサートマスターに就任。オーケストラでの活動と並行して、独奏者としても活躍したほか、1945年にはウィーン・フィルの同僚たちと「バリリ四重奏団」を結成、1959年頃まで精力的に録音や世界各国へのコンサートツアーを行う

岡本和子[オカモトカズコ]
オーストリア社会・文化史研究、通訳・翻訳家、慶応大学および上智大学非常勤講師。4歳~8歳までフランス(パリ)、8歳~高校卒業までオーストリア(ウィーン)で育つ。ウィーンの独仏バイリンガル・スクール卒、仏バカロレア取得後帰国。慶応義塾大学美学美術史学科(音楽学)卒、東京大学大学院ドイツ語独文学科修士課程修了。NHK衛星放送の独・仏定時ニュースの同時通訳のほか、各種国際会議の通訳をつとめる他、クラシック音楽の世界にてFM音楽番組や雑誌で司会、インタヴュアー、エッセイスト、プロデューサーとしても活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

breguet4194q

108
戦前から戦中戦後を駆け抜けたウィーンフィルのコンサートマスター・楽団長の自叙伝です。今年2月に天寿を全うし、享年100歳でした。オーストリアでは、爆撃戦が激しさを増す中でも、コンサートは普通に開催されてます。確かに、プロパガンダに利用された面も当然ありますが、西洋音楽がどれだけ生活に根付いていた存在かと驚きます。著者は音楽の存在価値に煩悶しつつも、戦争で亡くなった方や遺族の慰めになればと、演奏を続けます。戦後の平和を祈る心、音楽をこよなく愛する心は、本当に尊敬に値します。2022/06/24

おとん707

10
著者はウィーンフィルのコンサートマスターを1939年から1973年まで務めた名ヴァイオリニスト。書名はウィーンフィルの栄光の日々の回想録を連想させるが彼がコンサートマスターに就任した年が暗示するようにこれは戦争の中でどうやってウィーンフィルを守り通したかの生々しい記録。ナチの統制下で活動を続けることは戦争協力と捉えかねられず、事実ともにウィーンフィルを擁護して活動した指揮者フルトヴェングラーは戦後責任を問われた。歌劇場は焼失し一部楽団員も去り戦後の復興も並大抵ではなかった。音楽家によるもう一つの戦争記録。2025/08/23

メルセ・ひすい

3
戦争帝国崩壊これ以上にない厳しい運命に幾度も翻弄され生き延びてきた。それはオーストリア・ハンガリー帝国崩1918年その混乱期…第一次オーストリア共和国誕生、インフレ、ウィーン中央裁判所放火事件、世界大恐慌1929年・共和国相互防衛同盟の蜂起、ドルフス首相暗殺…1939年ナチス・ドイツとの併合。更に大二次世界大戦 ウィーン・フィルの名コンサートマスターとして一世を風靡した著者が、その80年あまりの人生を振り返った自伝。戦渦をしのいだ名門オーケストラ団員たちの知られざる苦闘。全編にわたり貴重な写真を数多く収録2013/01/13

大阪たまき 2

2
クラシック好きの主人が読んだ本。中谷美紀著の本から、ウィーンフィルの楽団員の暮らしに興味がでた。現在100歳のバリリの回顧録。14年前。2つの大戦を生きた音楽家。特に若い頃ナチスに併合されたオーストリアでどんな活動をしていてどう考えていたか。失礼ながら音楽以外は知らない井の中の蛙、か。楽器を守るために爆撃から逃げ回った。進駐したロシア兵から家財と女性を守った。戦後はいち早く演奏を始め、人々の心の回復に寄与した。戦後の混乱はどこも同じ。ウィーンフィルの自主運営の規律が、楽団をナチから救ったのか。2021/08/08

セロ弾き

2
貴重な証言録だと思う。特に第二次大戦中は大変つらかったと思われるが、それでも演奏会を続けていたことには日本との違いを感じた。訳者の岡本さんが執筆を促したとのこと。経歴をみるとすごい才女だなと感心しました。2013/02/14

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