内容説明
この小説「破滅者」は、グレン・グールドの死とそのグールドが死の直前まで取り組み続けた〈ゴルトベルク変奏曲〉とを発端として、まさにその〈ゴルトベルク変奏曲〉をとおしてその生と死に思いを馳せる思索の〈ゴルトベルク変奏曲〉、下降する音型を定旋律とする思索の〈ゴルトベルク変奏曲〉なのである。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
harass
59
『消去』の作者の小説。ピアニストを目指す私と友人ヴェルトハイマーは、ホロヴィッツ主催のレッスンを受講する。そこに同じく受講者であのグレン・グールドに出会い友人になるが、圧倒的な本物に出会い私と友人はピアニストを断念する。友人は破滅の道を進む。あらかじめ定まっていたよう破滅を…… グールドが亡くなったときに出版され評判になった小説とのこと。もちろんまったくの創作。この作家の小説のようなエッセイのようなねじれた思索のスタイルは相変わらず。 音楽雑誌に翻訳連載されていた本でちくま文庫あたりで復刊を求む。2016/11/14
蘭奢待
46
今年発刊のみすず書房のほうを読もうとおもってたら、間違えてこちらを注文(図書館)。想像と全く異なり、グールドの伝記でもなければ、評論でもない。実名をベースとした小説である。が、ストーリーは体をなしておらず、「私」の思索、回想が連綿と続く。 私と、ヴェルトハイマー、そしてグールドの3人はプロのピアニストを目指す友人というモチーフの中を、たゆたうように文章が綴られる。文章全体がこの3人による三声のフーガであり、繰り返される表現が変奏を示しているようだ。ストーリーの展開を期待して興味を惹かれるままに読了した。2019/11/24
fishdeleuze
23
ホロヴィッツの主催するピアノ・レッスンに集ったグレン・グールド、私、ヴェルトハイマーの3人のピアニスト。語り手の私とヴェルトハイマーは表裏の関係のようだ(あるいはポジ/ネガ)。私がヴェルトハイマーを語るとき、そこには反転した私がいる。常に自分以外の何者かになりたがったヴェルトハイマーと、わたしとはわたしであることにおいて価値があると私が考えたように。→2016/01/16
jamko
16
ベルンハルト3冊目。自殺したヴェルトハイマーと天才グレン・グールド、そして彼らと共通の友人であった「私」の記憶と考察。天才は天才を知る。ヴェルトハイマーの破滅への道が色濃い影として描かれれば描かれるほどに増すグレン・グールドの輝き。フーガのように繰り返し描かれる破滅は延々と語られ続くがそれを終わらせるのは一枚のレコード。『消去』のときにも思ったがベルンハルトの小説のラストは痺れる。2017/10/22
牧之瀬雄亮
4
ある天才の魅力がわかってしまうがために自分の才能を卑下してしまう二人の友人。その一方が感情の微細な動きに至るまで観察したことを一気におも思い出す形で書かれるこの本は、ベルグソン的な過去のあり方が窺える。ある記憶を記憶として押し上げる要因となったそのまた過去や現在に於いては過去だがその時点に於いての未来をも総動員して自分の現在に影を産み出す。絶対を目指そうとするとき、自分には絶対者であるような人物が現れたとき、人はその人物へ到達しようと考えてしまい、当たり前だが挫折する。2013/08/01
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