音楽評論の一五〇年―福地桜痴から吉田秀和まで

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音楽評論の一五〇年―福地桜痴から吉田秀和まで

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  • サイズ 46判/ページ数 368p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784276201163
  • NDC分類 762.1
  • Cコード C1073

出版社内容情報

本書では、気鋭の音楽学者である著者が「私はなぜ音楽評論を書くのか」という自身への問いを根源として、歴史的事象を読み解きながら音楽評論そのものを客観的に探究する。本書の起点となる1875年(明治8年)『東京日日新聞』の記事から、今日に至るまで約150年。音楽文化は、音楽評論によって多様な人々が輪を作りその車輪を動かし続けてきた。本書は、新聞の音楽評論、音楽雑誌、芸大楽理科、音楽之友社、遠山一行、吉田秀和ほか、音楽評論にとって重要で興味深い9つのテーマを時系列的に扱い、極力、評論自体を紹介しながら展開。インターネット社会の今だからこそ、あらためて日本の近代150年のスパンで音楽評論とは何かを問う渾身の一冊。

内容説明

福地桜痴、四竈訥治、大田黒元雄、堀内敬三、河上徹太郎、吉田秀和、雑誌『音楽と文学』、『音楽之友』、芸大楽理科…。明治維新から150年余りの近現代史の中で音楽評論家とメディアはどう育まれたか?音楽評論そのものの意味を問い直す!

目次

第1章 「音楽がわからない」音楽評論家―福地桜痴と『東京日日新聞』
第2章 学校音楽に期待をかける『音楽雑誌』―四竈訥治の時代
第3章 「一私人の一私言」を超える演奏批評―一八九八年(明治三一年)の『読売新聞』から
第4章 楽壇の画期としての同人雑誌―『音楽と文学』とその周辺
第5章 音楽評論家の社会的認知と音楽著作権―昭和初期の批評のすがた
第6章 「近代の超克」と大東亜共栄圏―総力戦体制下の洋楽と音楽雑誌の統廃合
第7章 アカデミズムとジャーナリズム―東京帝国大学美学美術史学科から東京芸術大学楽理科開設へ
第8章 「健全な聴取者」というヒューマニズム―遠山一行の音楽評論
第9章 「音楽的自我」を生きる―吉田秀和の評論活動

著者等紹介

白石美雪[シライシミユキ]
音楽学者、音楽評論家。武蔵野美術大学教授。著作に『ジョン・ケージ混沌ではなくアナーキー』(武蔵野美術大学出版局、第20回吉田秀和賞受賞)など。NHKラジオにレギュラー出演し、朝日新聞で音楽会評、各種雑誌で音楽評論を執筆している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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trazom

87
読み応えのある骨太の一冊。見事な分析による音楽評論の歴史である。黎明期の福地桜痴・四竈訥治に始まり啓蒙派(大田黒元雄、野村光一)から昭和初期の社会派(山根銀二)へ。河上徹太郎や小林秀雄の影響を受けて、近代文学派と言える遠山一行・吉田秀和に集大成する展開である。遠山一行さんの純粋批評と吉田秀和さんの音楽的自我。微妙に異なる両者だが、ともに、評論家個人の内的自我こそが評論の本質だという信念に納得である。CD評などで駄文を重ねる凡百の自称評論家など一顧だにせず、音楽評論の神髄を描いた著者の姿勢に拍手を送りたい。2024/08/25

みつ

20
音として現れた途端消えてゆくもの、これを批評するというのは、考えてみれば大変なこと。私見では①音楽として表現される前の楽譜段階での作品批評、②現に演奏会に立ち会っての批評、③レコードやCDに記録された演奏の批評、に大別されそうであるが、明治以来百五十年の歴史では記録媒体が登場するのは後半であるし、演奏会も限られているので、まずは啓蒙的な意味を含めての紹介記事に始まっている様子。時局に影響されないはずの絶対音楽も含め音楽のあり方が議論される戦時下の動きは、その意味からも興味深い。戦後の音楽批評は遠山一行➡️2024/06/04

takao

1
ふむ2024/09/28

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