内容説明
戦後日本は、なぜこれほど「開発的なもの」に依存する社会となったのか。佐久間ダムを事例に、開発主義を支えた心性やレジームの形成過程を、復興期ナショナリズムから「村の日常」、記録映画までを横断しながら描き出す。
目次
「充たされないもの」のありか―心性としての「開発」の起源を探る
第1部 国土に充たされていく開発―開発レジームのスケール重層的な形成過程(「残された国土」に充たされていく開発―戦後復興期における開発ナショナリズム;郷土建設から県域スケールの開発制度へ―「開発」化する理想と脱「理想」化する開発;「開発」受け入れのローカルな基盤―動員と主体化の重層的過程;ダム建設の記憶とその構造―「ぶれ」と「濁り」の創発力)
第2部 表象に埋め込まれていく開発―開発映像のポリティックス(「開発映画」の誕生;立ち上げられる開発の表象―映画『佐久間ダム』は何を描き、何を描かなかったのか;『佐久間ダム』を観た/観せたのは誰か―映像の浸透と再編される権力構造;可視化と不可視化のポリティクス―映像化の現場;映画人たちの動員と抵抗―「高度経済成長」の先へ;新しい「復興」の時代を前にして)
新しい「復興」の時代を前にして
著者等紹介
町村敬志[マチムラタカシ]
1956年・北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科教授。東京大学大学院社会学研究科博士課程退学。社会学・都市研究・開発研究・グローバリゼーション研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Mealla0v0
6
開発政策(資本‐国家の連携に向けた社会再編)+開発運動(貧困・後進性からの解放としての実践)の出会う領野が開発主義の空間であった。植民地の喪失とともに過剰人口を縮小された本土に収容しなければならなくなったため、国土は隈なく開発され尽くされねばならないとされた。だが、復興としての開発を過ぎると、国内には低開発地がむしろ発明された。開発は現場から離れ映画などの表象を通じて開発的なものが浸透し、淡い記憶をなし、開発はつねに不足が問題とされた。この淡さという特性は、開発が何とでも結びつく可能性でもあった。2023/01/14