出版社内容情報
いま障害者の親たちは老いによる心身の衰えを実感し、我が子の生活を支えることに限界を感じ始め、すでに自身が病んだり要介護状態になりながら支えているケースも多い。親たちの聞き取りをもとに実情と支援のあり方を考える。
内容説明
障害者の親も「支援の必要な人」としてとらえる視点。
目次
第1部 これまでのこと(障害のある子どもの親になる;重い障害のある子どもを育てる;専門職・世間・家族;「助けて」を封印する/させられる;支えられ助けられて進む)
第2部 今のこと(母・父・本人それぞれに老いる;多重介護を担う;地域の資源不足にあえぐ)
第3部 これからのこと(我が子との別れを見つめる;見通せない先にまどう;親の言葉を持っていく場所がない;この社会で「母親である」ということ)
著者等紹介
児玉真美[コダママミ]
1956年生まれ。京都大学卒業。米国カンザス大学にてマスター取得。英語の教師(高校・大学)として勤務の後、現在、翻訳・著述業。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。1987年生まれの長女に重度重複障害がある。2015年7月からウェブ・マガジン「地域医療ジャーナル」に記者として執筆中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ネギっ子gen
41
<「障害者の親」とのみ捉えられると、母性信仰や「子育て」イメージに取り込まれて、親による介護はいつまでも当たり前視されがちです。しかし、「障害のある子どもをもつ親もケアラーの一人」と認識されることによって、親もまた尊重されるべき人権を有し支援を必要とする一人の個人として>見えてくる。著者自身が障害者の親として、<重い障害のある子どもをもつ母親たちがこれまでどのような体験をして生きてきたのか、今こうして老いの中で何を体験し何に困っているのか、これからに向けて何を思い、何を感じているのか>を明らかにした本。⇒2020/07/12
長くつしたのピッピ
24
障害のある子どもを持つ親の「親亡き後」の切実な不安が伝わってきた。全てを地域つまり家庭で賄おうとする国の怠慢が、自らの老いに目を瞑り「子どもより一日でも長く生きたい」という逆縁の発想にたどり着いてしまう気がしてならない。障害のある人の尊厳が守られ、支援者の生活にゆとりが生まれ、「介護機能」と見なされている母親の個人の幸福が実現できる世の中になって欲しい。共存の意味を探りたい。2020/07/22
Natsuko
22
児玉さん著書3冊目。障害者家族の高齢化、ケアラー(無償で介護する人)支援についてのインタビュー集。ケアラー支援とは「介護しやすいように、介護を続けられるように」支援することではなく「介護をしないことを選択する権利を含め、ケアラーが自分自身の生活や人生を生きられるように支援すること」と述べる。ご自身も重症心身障害のお子さんをもつ児玉さんの言葉はずしりと響き、時に耳が痛い。「障害児のオカアチャンでなかったら見れなかったところ、例えば人間の本性とかをいっぱい見れた」とはある親御さんの言葉。 2022/04/30
やまやま
17
まずは「助けて」を封印させられたことについて、自立していることが大事という価値観から距離をおけずに、権威の持ち込む愚劣な指示に右往左往したことがなんとも物悲しく、口惜しいということは実感がある。一方、「ふつうに」老いる、という点では、誰もが経験したことのない高齢化社会の中で、どのように家族という関係を維持するのがよいのか、価値観が変わりつつあるのも事実であろう。障害者家族は先行指標としてケアに関する諸課題を示しているのに、さっぱり気づかない社会という構図も理解できる。親子の相互介護は今や当然ではない。2020/08/15
みずたまもよう
7
本当に大変な人は助けを呼ぶ余力も無い この一言に尽きます このインタビューを受けた人達は まだ恵まれてるのかも知れない2020/08/21