ココダの約束―遺骨収容に生涯をかけた男

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  • サイズ B6判/ページ数 327p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784270005187
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C0098

内容説明

友との約束を果たすため、財産も家族も投げ打って、南海のジャングルに戦友の遺骨を探し続けた西村幸吉の魂の記録。

目次

頭蓋骨
幼少時代
兵士
ニューギニア
ブリゲードヒル
撤退
白豚と黒豚
帰郷
仕事
残留日本兵
家族
着手
始動
弁当箱
一本木
船乗り
遺灰
遺品
頭蓋骨 その二
政府の職員として
帰還
今西
慰霊祭
幸子
最後の姿

著者等紹介

ハペル,チャールズ[ハペル,チャールズ][Happell,Charles]
1962年、オーストラリアのジーロング生まれ。ジャーナリスト。メルボルン大学で政治学を専攻、1984年に同大学を卒業後、主に連邦政府の政治に関する記事を手がける。後にスポーツ関連記事の執筆に転向し、海外に移住。ロンドンで勤務後、ロイター通信ミラノ支局に勤める。1993年に「The Age」新聞社に入社。2002年にスポーツ記事の編集者になる。現在はメルボルン在住

丸谷元人[マルタニハジメ]
1974年、奈良県出身。オーストラリア国立大学卒業。同大学院博士課程前期中退。オーストラリア国立戦争記念館(キャンベラ)通訳翻訳者を皮切りに、長年通訳翻訳業務に従事。その後パプアニューギニアへの投資促進のためのコンサルタント会社を設立。2004年シドニーにおいて、映像製作会社のアシスタント・プロデューサーとして、ニューギニア戦に関するドキュメンタリー『Beyond Kokoda』を制作。同作品は2009年、第7回オーストラリア有線放送大賞最優秀ドキュメンタリー賞受賞、第51回ロギー賞最優秀ドキュメンタリー部門ノミネート。東京都練馬区在住

北島砂織[キタジマサオリ]
静岡県出身。静岡大学法学科在学中、米国ネブラスカ大学に留学。卒業後、外資系証券会社に4年間勤務ののち、退職。アジア学院(栃木県)にて有機農業と途上国の農村開発を学び、開発と食のつながりに関心をもつ。アジア経済研究所開発スクールを経て、コーネル大学国際開発修士課程修了。2003年より国連世界食糧計画(WFP)に勤務。ネパール事務所にて、ブータン難民プロジェクトならびに農村開発プロジェクトを担当。2006年より、バンコク事務所にてドナーのパートナーシップ構築業務に従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

小鈴

23
オーストラリア人の作家がニューギニアで日本兵の遺骨「収容」する西村幸吉の存在を知り、当時の戦争の状況から遺骨収容するまで聞き取りまとめた本。ニューギニア戦線については敵国オーストラリアの状況もわかる。遺骨「収集」ではなく「収容」と書くのは、遺体は収集と言わず収容と言い、ゴミは収容と言わず収集という。西村は遺骨「収集」という言葉に深い悲しみを感じる。あの過酷な戦場を生き残り、仲間を母国に帰すことに尋常ではない執念を燃やす西村には許せない言葉なのだ。遺骨収容に理解を示さない妻と息子二人と縁を切り、やり抜いた。2021/06/14

flatone

18
約束を守るとはどう言うことかを、本当の意味で教えてくれた一冊。60を過ぎた後に25年間も治安の悪い異国で遺骨を掘り続けた大偉業。それを当人以外の著者が本にして残っているというところが良い。これだけの偉業を誰に知られることも求めず、ただただ忠義を尽くして戦った仲間の為に約束を果たすのみ、という西村さんの気魄。陸軍の一兵隊として第一線で目にしてきた圧倒的なリアル。その凄惨さを知るだけでも、物の見方を変えさせられる。森本中尉の弁当箱に再び出会えたシーンは忘れられません。2019/10/24

Tadashi Totsuka

4
ココダってドコダ?ニューギニアのココダ街道のことでした。大平洋戦争の激戦地ニューギニア戦線で奇しくも生き残って、戦死した戦友達の遺骨収容に25年もの間頑張った西村幸吉さんの物語です。全く驚くべき人です。負傷して動けなくなった仲間に、生きていたら必ず戻ってきて遺骨を拾ってやるからなと約束したんです。やると言ったら、家族まで捨ててやり通した信念の人です。2018/09/09

芸術家くーまん843

4
「ココダの約束」チャールズ ハペル、武田ランダムハウスジャパン「ココダ」とは日本軍とオーストラリア軍が戦ったパプアニューギニアのココダ街道です。ココダでの戦いでは、日本側約13,000人、オーストラリア側約3,000人もの犠牲者が出ました。この戦いから生き残った西村幸吉さんは、「死んだら必ず遺骨を拾ってやる」という約束を果たすために、25年間も戦友の遺骨を収容し続けました。・西村はかつて、死んでいく戦友たちに向かって 「いつか必ず、俺はお前たちのために戻ってくる」と約束したのであり、その誓いを果たすのは彼2013/05/11

Sae

3
いろいろな考え方の人がいて、それでいいと思っているけれど、少なくとも、自分が受けた義務教育の歴史については問題があると思う。縄文時代だの、クロマニヨン人のラスコー洞窟だのといった歴史も大切だと思うけれど、数十年前に国民が経験したはずの戦争のことをさほどにも教えてないのはおかしいと思う。 学校の授業とは別に自分で読んだ本から学んだことの方がはるかに多い。そしてそこから、申し少し、最低ラインだけでも歴史の授業で扱われるべきだったと感じる。2018/10/26

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