出版社内容情報
伊能忠敬の人物像、伊能図、10回にわたる行程、測量に使った道具や地図の作り方などを解説。忠敬に影響を与え、支えた人々も。
内容説明
伊能忠敬は商売のかたわら天文学や算術などを勉強した。50歳になって江戸に出て、天文暦学者の弟子になり、55歳のとき、蝦夷地へ測量の旅に出た。そのときの測量記録をもとに、蝦夷地と奥州街道の地図をつくった。それがきっかけで測量の旅をつづけ、17年間をかけて日本全国を歩いた。忠敬と隊員が歩いた距離は地球一周以上にもなる。けわしい山道や道のない海岸線をくまなく歩いて測量をした。「大日本沿海輿地全図」をつくった伊能忠敬はどんな人だったのだろう。
目次
1章 江戸時代にはどんな地図がつくられていたか
2章 伊能図とはどのような地図か
3章 地図づくりを始めるまでの忠敬
4章 日本全国を測量する“東日本編”
5章 測量、観測の道具と使い方
6章 日本全国を測量する“西日本編”
7章 忠敬はこのように地図をつくった
8章 忠敬を支えた人たち
9章 伊能図はその後どうなったか
著者等紹介
国松俊英[クニマツトシヒデ]
児童文学作家。滋賀県生まれ。童話や児童小説、ノンフィクションの作品を書いている。日本児童文学者協会会員、日本児童文芸家協会会員、日本野鳥の会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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美登利
86
千葉県民なので、伊能忠敬の事は知ってるつもりでした。50才、隠居してから地図作りのために測量の旅に出た事や商売で財を成していたことなど。裕福だから出来たのだと思ってたけれど、幼い頃から秀でた人だったのだね、何よりも人格者で飢饉のときには多くの人々を救っている。その地図の作り方の気の遠くなる作業と正確さは今でも高い評価ですよね。10次観測隊まで17年、途中から幕府の仕事になった事、支援者や弟子に恵まれたこともよく分かりました。年表をみて婿に入った家の娘さんが亡くなってから3回も再婚してることが驚き!(笑)2016/09/18
ゆうゆうpanda
39
算術が得意で旧家の伊能家に婿入りし、商売に打ち込んだ半生。今の額で50億の富を成したばかりでなく、飢饉の時は貧しい人に食べ物を分け与えたというから、元々人格者だったのだと感動した。50歳を過ぎてから19歳も年下の高橋至時に師事した。測量の長旅から帰って師に緯度の長さの報告すると何度も首を捻られた。それでも挫けないところ、師を尊敬していたところに心打たれた。学ぶための謙虚さと根気によって『伊能図』は完成し、その後100年も役に立つこととなった。素晴らしい偉業だと思う。いくつになっても人は成長できるのだなと。2016/03/21
かいと
24
最初は地図を作るために測量に行くときに一度に全国を測ったのだと思っていたけど、何回かに分けていったのがあっていることを知りました。歩いて作ったのにとても正確に作られていて今の地図と重ねてもほぼ変わらないからすごいと思いました。2016/03/14
田中寛一
8
映画「大河への道」を見たあと、近くの図書館に行くと、「伊能忠敬」のコーナーが映画の記事ととも作られていた。児童向けの本だが、伊能忠敬の地図作成に向けて第10次までの歩みがまとめられていた。そしてその後のシーボルト事件まで簡単に触れられていた。徒歩で日本1週、主な街道も測量しているようで、その距離が地球1週より長い距離になるというのだから、驚きとしか言いようがない。完成した図を江戸城へ持参できなかった忠敬だが、測量は完遂したのだから見事だ。2022/05/25
きのこ
5
「伊能忠敬と伊能隊が測量のために歩いた全距離は約43,707kmとなる。地球一周は約40,000kmだから、伊能隊は地球一周以上を歩いたことになる。」(p.2)2019/05/10




