「放蕩」する神―キリスト教信仰の回復をめざして

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「放蕩」する神―キリスト教信仰の回復をめざして

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  • サイズ B6判/ページ数 143p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784264029120
  • NDC分類 193.63
  • Cコード C0016

内容説明

父に背を向け、身を持ち崩した弟、父に従いながらも弟の帰還に眉をひそめる兄―イエスのたとえ話を丹念にひもときながら兄弟双方に注がれる浪費家の神(Prodigal God)の恵みを浮き彫りにする。「ニューズウィーク」誌が「21世紀のC・S・ルイス」と称した牧師の代表作。

目次

第1章 イエスとその周辺の人々―「みな、イエスの話を聞こうとして、近寄ってきた」
第2章 失われた二人の息子―「ある人に息子がふたりあった」
第3章 罪とは?―罪の再定義「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません」
第4章 失われるとは?―逃避の再定義「兄はおこって、家に入ろうともしなかった」
第5章 本当の兄なら―「子よ、私のものは、全部おまえのものだ」
第6章 のぞみとは?―希望の再定義「何もかもまとめて遠い国に旅立った」
第7章 父の宴会―「音楽や踊りの音が聞こえて来た」

著者等紹介

ケラー,ティモシー[ケラー,ティモシー][Keller,Timothy]
ペンシルベニア州生まれ、バックネル大学、ゴードンコーンウェル神学校、ウェストミンスター神学校で学んだのち、バージニア州ホープウェルの教会で牧会。1989年にニューヨーク、マンハッタンで、妻キャシー、3人の息子たちと、リディーマー長老教会を開拓。現在同教会は、礼拝が5回行われ、のべ出席者数は約6千人。ニューヨーク近辺のみならず世界各地での都市開拓伝道を支援している

廣橋麻子[ヒロハシアサコ]
国際基督教大学教養学部教育学科卒業、同大学院行政学研究科博士前期課程修了。行政学修士(アメリカ研究)。日本長老教会おゆみ野キリスト教会所属(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

てっしー

6
実に興味深い内容でした。聖書に出てくるイエスの喩え話の中でも最も有名なルカ15章「放蕩息子」をテーマに一冊書かれています。私もこれまでこの喩え話は、家の財産を蕩尽した末に戻ってきたにもかかわらず、父親に温かく迎えられた弟を中心に考えていましたが、兄に力点を置くことで、話がこんなにふくらみを持つものだと気付き、驚きです。そして兄の話がパリサイ人に向けられていたというのもコロンブスの卵的盲点でした。タイトルは、そんな救いようのない兄弟ですら惜しみなく愛を与えたもう神の愛を「放蕩」と表現したのでしょうか。2013/04/18

megumiahuru

2
タイプは違っても、父の愛から遠く隔たって生きるふたりの息子。その二人の息子の姿に、神なき時代に生きる現代人の姿を著者は重ねて描きます。著者の教会には毎週6千人のニューヨーカーが集うそうですが、それも何となく頷けます。キリスト教の背景のない方には、少し難しいかもしれませんが、聖書の「放蕩息子のたとえ」に込められたキリスト教信仰のエッセンスが感じられる本です。2013/06/15

Isamu Nozaki

1
友人の宣教師に勧められた本。福音についての理解が新しくなり、心が楽になったような気がする。放蕩しているのは神様なんだ、というのは新しい視点だし、兄息子も自分の善行と道徳性によって父なる神に反抗しているという点で失われた者なんだと教えられた。教会には兄息子ばかりがいて、弟息子タイプの人は居づらいというのはよくわかる。日本人の教会に対するイメージもそう。2019/01/21

cyn_yo

1
父である神と共に過ごすことを求めていない限りは、自分の欲を求めていても、自分の正義を求めていても結局は失われているというキリスト教の中心的な教えを綺麗に放蕩息子の例えから説明していました。何よりも神様を喜びとし、求めていけるのが恵みだなと感じます。2019/01/11

yuxxlogy

0
2016/03/05

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