内容説明
遠藤牧師の遺稿から起こした、待望の講解説教シリーズ第7弾。「祭壇の火」のもとに行くならば、その人は赦される。そこには常に神の救いの手段が整えられていた。
目次
1 主に受け入れられるために―レビ記1章1~9節
2 パン種ではなく塩を―レビ記2章11~16節
3 祭壇の火は燃え続けさせよ―レビ記6章8~13節
4 いのちに対して―レビ記7章22~27節
5 命じられたとおりに―レビ記8章30~36節
6 霊とまことによって―レビ記10章16~20節
7 聖さの意味―レビ記19章1~18節
8 二種類のもの―レビ記19章19節
9 収穫を増すため―レビ記19章23~25節
著者等紹介
遠藤嘉信[エンドウヨシノブ]
1959年静岡県に生まれる。聖書神学舎、ゴードン・コンウェル神学大学院、セントポール&セントメアリー大学博士課程を経て、聖書ヘブル語動詞の研究により英国ブリストル大学から哲学博士号(Ph.D.)取得。日本同盟基督教団和泉福音教会牧師、聖書神学舎教師(旧約聖書)を務める。2007年6月23日召天(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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はや
7
再読。やっぱり名著。私はレビ記10章にあるアロンの言動と対するモーセの応答のエピソードが不可解で難解に感じていた。しかしこの本のおかげでその意味を知り、深い感動に包まれた。旧約時代の律法というものを、なんだかよくわからない面倒な掟という理解から、神の愛をベースにキリストを通して見るとこれが聖なる神と人間とをつなぐ唯一の架け橋で生きた掟であると見方が変わった。「律法主義的な理解に陥っていたのはパリサイ人だけであって、旧約聖書の中には、そうした形式主義的な考えは微塵もなかったのです」本文より。私は唸った。2016/04/23
はや
6
聖書の中では読みづらい方に入ると思われる「レビ記」を講解した本ですが、的確なたとえにより、とても読みやすく書かれています。神の聖さとはなにか?当時の人たちにとって礼拝とはいかなるものだったのかを丁寧に読み解き、今の自分の姿勢を考えなおすきっかけとなりました。 当時の人たちは燃え続ける炎を見て、焼きつくされる捧げ物を見て自分の罪と向き合い、贖われる希望をみいだす一方で罪を罪のままにしたときに自分がこの様になるという畏れを感じていたであろう礼拝者の観点を得ることができます。
John Newton Webb
0
凄く感動しました。お勧めしまーす!2015/09/01