目次
1 一つの問題提起―「伝道、伝道」と言う前に
2 信徒の苦しみ―ベテルの会の学びから
3 ある牧師の気づき
4 教理の説明中心の説教で見失われるもの
5 これからの神学校教育
6 傷つかないキリスト教ではなく、傷つきを恐れないキリスト教へ
7 神の深み
8 一つの結論
著者等紹介
工藤信夫[クドウノブオ]
1945年、秋田県に生まれる。弘前大学、大阪大学において精神医学を学ぶ。アメリカの南メソジスト大学およびベイラー大学医学部に留学。淀川キリスト教病院精神科医長、ルーテル学院大学社会福祉学科教授を経て、平安女学院大学教授。医学博士
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感想・レビュー
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はや
4
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。」これはイエスキリストの言葉。しかし、教会に通うクリスチャンには信仰生活において人間関係や奉仕で疲弊し、思うことを言えずに心がボロボロになるというケースがある。このようなケースを生み出す原因は"人間らしさ(Being)"の追求が置き去りにされて"行いや活動(Doing)"にばかり重点が置かれることにあると述べられる。健全な牧会とは?当然その答えはイエス・キリストにあり、義務感ではなく使命感を与え自由の中で働くようにさせることだろう。2015/05/25
I神学生
1
久しぶりに工藤先生の著書を読んだ。『信仰による人間疎外』『福音はとどいていますか』等、二十数年前に先生の著書に触れた時の感動を再び味わうことが出来た。私が献身を志したのも、先生が指摘する問題点への挑戦という面もあったのだと、今になって思う。2012/01/17