内容説明
絵画と文学の婚姻。観賞度2倍、デルヴォーの絵が読める。
目次
挨拶(1938年)
眠れる町(1938年)
ノクターン(1939年)
ピグマリオン(1939年)
月の位相1(1939年)
町の入り口(1940年)
町の夜明け(1940年)
月の位相2(1941年)
不安な町(1941年)
月の位相3(1942年)
囚われの女(1942年)
眠れるヴィーナス(1944年)
夜の汽車(1947年)
十字架降下(1949年)
クリスマスの夜(1956年)
学者の学校(1958年)
見捨てられて(1964年)
ジュール・ヴェルヌを称える(1971年)
著者等紹介
内山憲一[ウチヤマケンイチ]
1959年長野県生まれ。東京外国語大学外国語学部フランス語学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。現在、工学院大学基礎・教養教育部門准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
96
それぞれの冒頭にデルヴォーの絵が付されているので、一見したところは画讃に見えるかもしれないが、掌編を連ねた中編小説である。全体は一連の夢。入って行くのは18枚のデルヴォーの絵の中の世界。そして、案内図はヴェルヌの『地底旅行』だ。デルヴォ-の絵は、氷河や氷が描かれているわけではないが、そのいずれもから温度感が全く伝わってはこない。そして、時間が突然にそこで静止してしまって、もはや動き出すことはないかのようだ。ヌーヴォー・ロマンの作家、ビュトールは、ここでまさに「視る」ことに徹して、幻視世界を旅してゆく。2014/01/13
帽子を編みます
18
これは、難航しました。ビュトールのイマージュ、まずデルヴォーの絵からの着想、以前の著作物から来るもの、ヴェルヌ『地底旅行』からのもの、これらを踏まえ、なおかつ、奔放な発展…。私には、この全てを(いや、一部をも)追うだけの知識はないのです。デルヴォーの絵が18枚、それを基にした5枚程度の短い話が、連なり完結します。夢の中で脈絡のないものが当然であるかのように語られる、あの感じでした。デルヴォーの絵は白黒で小さいですが、目をひかれます。この絵自体がイマージュの結晶、物語をつむぎたくなる気持ちは理解できました。2020/08/02
バジルの葉っぱ
5
ポールデルヴォーの絵は、「クリスマスの夜」という鉄道の駅をかいた絵の絵はがきをもっています。この月光にぬれる街や駅の静けさがすきでかった。デルヴォーの絵はどれもストーリーを感じさせるので、この作者でなくても誰しもがイマジネーションをかきたてられる。読んでるうちにほかの作家の絵でも同じように自分も書いてみたくなりました。2015/07/11
wakabon
4
『ヘルメスの音楽』の註で旧版『文学と夜』の頃から気になっていた本だったが、ちょっと期待値が高すぎたか。ビュトールがデルヴォーの絵画の世界を文章で表現するとどうなるのか、とわくわくしていたのだが、デルヴォーの絵をジュール・ヴェルヌの『地底旅行』と接続した二次創作といった趣で、少し拍子抜け。最初の方の文章あたりはロブ=グリエを思わせるひんやりとした幻想が醸し出されていて引き込まれるが、そのノリで突っ走れない(らない)のがビュトールたる所以だろうか。訳は悪くないが、旧版の清水・工藤訳の出来栄えも正直気になる。2012/04/22
rinakko
4
とても好みの一冊。デルヴォーの18枚の絵から想を得た物語「ヴィーナスの夢」と詩が一篇。遺跡のような寺院や柱廊、泉水、アゴラ、庭園、なぜか砂漠…駅と汽車、裸体を晒す女たち…。その奇妙な町をさ迷うように歩き続ける“私”は、伯父のリーデンブロック教授の後を追っている。途中、彫像にされたり急に骸骨になってしまったり、導きの女を見失ったり…。作者が他の自作品からの引用をふんだんに加筆している為、脈絡のない文章が続く箇所も多いが、イメージが万華鏡みたように移ろっていくのをただ楽しんだ。キリン座、りょうけん座、祭壇座…2011/11/03
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