もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱―関東の戦国動乱を読む

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もうひとつの応仁の乱 享徳の乱・長享の乱―関東の戦国動乱を読む

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  • サイズ B40判/ページ数 192p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784198645854
  • NDC分類 210.47
  • Cコード C0021

出版社内容情報

戦国時代の始まりである、関東で起こった享徳の乱と長享の乱。下剋上の元祖ともいえる混乱と、太田道灌や北条早雲の活躍を解説。歴史の隙間になりがちだった室町時代後期は戦国時代へと向かう歴史的ターニングポイントである。応仁の乱はそのエポックメイキングであるが、実関東地方で起こった享徳の乱こそ、戦国時代への幕開けの事件であった! 本書では享徳の乱とその4年後に起きた長享の乱を、地図や表を用いながら、わかりやすく解説していく。なぜ、今川家や北条家が戦国大名として台頭したか、上杉謙信が関東管領にこだわった理由、太田道灌の出自の謎などがわかる!

水野大樹[ミズノヒロキ]
著・文・その他

内容説明

室町後期に関東で繰り広げられた鎌倉公方VS関東管領の争い。それは横軸で見れば、西の幕府VS東の守護武家の争いであり、縦軸で見れば室町幕府VS鎌倉幕府の争いでもあった!天皇家、将軍家、武家が参入し、下剋上を生み、さらなる混沌、戦国時代へと突き進んでいく…。

目次

第1章 享徳の乱前夜―当時の関東地方の状況を知っておく(享徳の乱が起こった時代背景を探る;享徳の乱の中心的存在、鎌倉公方、関東管領とは? ほか)
第2章 享徳の乱勃発―全国に先駆けて関東が戦国時代に突入(鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を誅殺!;「分倍河原の戦い」で成氏軍が勝利 ほか)
第3章 享徳の乱の終息―長尾景春の乱と太田道潅の活躍(上杉氏憲の子で幕府のキーマン犬懸上杉教朝が自害;関東管領・上杉房顕が五十子で陣没 ほか)
第4章 長享の乱勃発―両上杉家の対立と北条早雲の登場(28年ぶりの平穏「長享の乱」前夜;主君・扇谷上杉定正が太田道潅を殺害! ほか)

著者等紹介

水野大樹[ミズノヒロキ]
1973年、静岡県生まれ。青山学院大学卒業後、出版社勤務を経て歴史ライターとして独立(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

壱萬弐仟縁

52
来週、日本史Bでは応仁の乱があるので、東日本でもそういうのがあったことを伝えたい。享徳の乱は浜島書店の資料集地図にもあった。戦国の動乱、今の令和の混乱。なんか似てるのかも? ルビがあるので、誰でもスラスラ読めるが、複雑な人間関係などは簡単には理解できない気もする。。 2022/10/29

coolflat

13
“もうひとつの応仁の乱”と呼ばれる享徳・長享の乱の方が、本家よりも、構図が分かりやすく面白い。流れとしては、1416年上杉禅秀の乱(○鎌倉公方・山内上杉vs犬懸上杉×)→1438年永享の乱(○幕府・関東管領vs鎌倉公方×)→1440年結城合戦(○幕府vs結城氏・鎌倉公方持氏の遺児×)→1454年享徳の乱(△幕府・関東管領vs古河公方△、鎌倉公方が古河公方・堀越公方に分裂)→1487年長享の乱(○山内上杉vs扇谷上杉×、北条早雲の台頭)。なお関東管領は鎌倉公方の補佐役で、尊氏の母方の実家上杉家が代々就任した2020/02/19

りー

9
関東史をあまりに知らないことに気づき読んでみたものの、サッパリわかりませんでした!馴染みがない名前の上に、同盟・離反・下剋上の繰り返しで大混乱。太田道灌と伊勢新九郎くらいしか知らなかった。とりあえず、室町幕府の対関東政策が破綻し、鎌倉公方と関東菅領が対立→以降泥沼合戦が続き、なし崩しに戦国に突入したことはわかりました。八犬伝読んでて良かった。出てくるお城の名前は馴染みあるんだけどなー。練馬城とか、石神井城とか、あったんかい?レベル。西にばかり目を向けず、足下の歴史をもっと知りたい。めげずにトライします。2019/03/23

スプリント

8
応仁の乱と同時代に関東で起きていた騒乱について書かれた本です。堀越公方や古河公方、関東管領、太田道灌などに興味がある方におすすめです。2018/07/15

翠埜もぐら

4
住んでいるのは豊島氏の元支配地、武蔵千葉氏の居城赤塚城址で子供時代を過ごし、祖父は古河公方のおひざ元の出身。身内感を強く感じて読んでいると面白さもひとしおです。最近やっと名前に慣れてきて見分けつくようになりました。本格的戦国時代一歩前ですが、3000人くらいで「大軍」なんですね。大将が簡単に討ち死にするし、信長・秀吉の時代と国も軍も規模が全く違います。それにしても養子が多いな。子供が育たなかったのか、武士は側室入れて子供たくさん作るようになってなかったのか。本の趣旨と違う所が気になってしまった。2019/10/28

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