出版社内容情報
これが池波版「忠臣蔵」だ!
主人・浅野内匠頭が刃傷沙汰を起さなければ、
大石内蔵助は妻子と平凡な一生を送ったに違いない。
だが国家老として成すべきことがある。
それ以外に「おれの生くる道はない」。
吉良邸討入りの夜、積もった雪のなかを死に向かって
歩を進めた大石が、最後に脳裡に浮かべたものは?
池波正太郎の記念碑的作品。
文庫解説・里中哲彦
内容説明
主人・浅野内匠頭が刃傷沙汰を起さなければ、大石内蔵助は妻子と平凡な一生を送ったに違いない。だが国家老として成すべきことがある。それ以外に「おれの生くる道はない」。吉良邸討入りの夜、積もった雪のなかを死に向かって歩を進めた大石が、最後に脳裡に浮かべたものは?池波正太郎の記念碑的作品
著者等紹介
池波正太郎[イケナミショウタロウ]
大正12(1923)年、東京に生れる。昭和30(1955)年、東京都職員を退職し、作家活動に入る。新国劇の舞台で多くの戯曲を発表し、35年、第43回直木賞を「錯乱」によって受賞。52年、第11回吉川英治文学賞を「鬼平犯科帳」その他により受賞する。63年、第36回菊池寛賞受賞。平成2(1990)年5月3日没。東京・浅草に池波正太郎記念文庫がある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Sato19601027
71
「物を美味しく食べ、良く眠り、女の肌を抱き、子を産み育て、家業を守る」という大石内蔵助の人生譚が感慨深い。元禄6年、35歳になった内蔵助は、江戸から赤穂へ帰国した浅野内匠頭長矩が生類あわれみの令を発布した将軍家をあからさまに批判することに対して、一抹の不安を抱くが、3人の子の父として、国家老として、忙しいながらも、遊蕩を繰り返していた。時は流れて、元禄14年浅野内匠頭による吉良上野介への刃傷事件で人生が一変する。御家再興の嘆願が叶わないと分かった時、遂に、討ち入りを決断。元禄15年12月14日を迎える。2024/12/13
まちゃ
53
主君・浅野内匠頭の刃傷沙汰による大石内蔵助の人生の変転。想定外の事件(状況変化)に内蔵助が、何を思い、どう対応したのか。淡々とした描写の積み重ねに、込み上げてくるものがありました。池波氏が愛してやまなかった男の生涯。面白かったです。2025/02/01
majimakira
18
結び方に大変驚いた。赤穂浪士討ち入りの顛末を描き切るのではなく、「四十年の沈黙」たる平凡な人生を歩み、そして歩み切るはずだった大石内蔵助良雄の、決した運命に逆らわずに死に向かって歩むその「足音」を残し切ることを目的とした作品であることが改めて感じられるものだった。生まれ落ちた時から死に向かって一歩ずつ進んでいく人生。目の前のこと、そしてやがて死にゆくこと以外に確かなものは何もなく、だからこそ逆らえない数奇な運命も、一律にどの色とは決まらず移り変わるそれぞれの性質もある。池波文学にまたそう教えられた。2025/01/25
デンプシー
2
大石内蔵助の人物像が魅力的2025/05/17
シンチャイナ
2
昼行燈と言われながらも、人として男としてなすべき事をやってのけた男、大石内蔵助。2025/03/28