内容説明
「絵師になりたき一念どうにも抑え難く」茨城県笠間を飛び出した15歳の山下りん。東京で工部美術学校に入学を果たし、西洋画の道を究めようと決意する。ロシヤ正教の宣教師ニコライに導かれ、明治13年、聖像画制作を学ぶため帝政ロシヤに渡るのだが―情熱に従って生きた日本初のイコン画家を描く圧巻長編。
著者等紹介
朝井まかて[アサイマカテ]
1959年大阪生まれ。甲南女子大学文学部卒業。2008年『実さえ花さえ』(のちに『花競べ』に改題)で小説現代長編新人賞奨励賞を受賞し作家デビュー。14年『恋歌』で直木賞、『阿蘭陀西鶴』で織田作之助賞、16年『眩(くらら)』で中山義秀文学賞、17年『福袋』で舟橋聖一文学賞、18年『雲上雲下』で中央公論文芸賞、『悪玉伝』で司馬遼太郎賞、19年に大阪文化賞、20年『グッドバイ』で親鸞賞、21年『類』で芸術選奨文部科学大臣賞をそれぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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のり
58
激動の明治に画家を志した「山下りん」。西洋画の道を究めようとするが、時代に阻まれる。画家仲間に紹介され、ロシア正教の「ニコライ」宣教師と運命の出会いで、新たな道が示された。聖像画師として腕を磨く為にロシアへ渡ったが…とにかく図太くないとやっていけない環境。言葉の壁も高い。帰国後も色々ありすぎた。教徒との信仰心の差。歳を重ねるにつれ、腑に落ちる事で景色が変わる。日露戦争も絡み、窮地にさらされる事も多々。それでも仲間も多かったし、波乱万丈だったが見事に生き抜いた。天晴。2024/08/30
エドワード
38
常陸国笠間藩の下士の家に、絵が大好きな娘がいた。山下りん。自己主張の強いりんは、文明開化の世に、絵を学びに東京へ飛び出す。工部美術学校でイタリア人・ホンタネジーに洋画を学ぶが、彼の後任とあわず、ロシア正教会の画工となり、ロシア留学の機会を得る。しかし留学先の修道院で当たる大きな壁。「聖像画は芸術であってはなりません」ルネサンス風の絵画ではなくギリシャ風のイコン修行の日々だ。驚き、反発し、苦悩するりんの姿は、先進国へと走る日本の歩みに重なる。ずっと後で彼女は教えを理解し、日本随一の聖像画家となる。大作だ。2024/04/21
てつ
28
まかてさんの本は表現が柔らかく自然で美しい。日本人初のイコン画家山下りんの生涯を描く。何かに打ち込む表現者を描かせると天下一品。ロシア正教会に興味がなくとも、美術的素養がなくても没頭して読める名作です。2024/04/27
Y.yamabuki
23
日本初のイコン画家 山下りん。西洋画を追い求め、その切っ掛けとして始めたイコン画であったが、徐々に本来の聖像画師としての役割に目覚めていく。自らの生き方を貫いたりんの一生を興味深く読んだ。故郷に戻っての晩年は、革命後の女子修道院の人達の身を案じながらではあったが、慎ましくも穏やかな日々であったであろう。時折思い出すロシアと故郷笠間の美しい風景が心に沁みる。 2024/09/24
ゴルフ72
23
山下りんさんは本当に強い人だった。そんな中、少しおちゃめな部分も垣間見ながら15歳からの人生は素晴らしかった。 私にとってイコン画家と呼ばれる人がいることすら知らない中、一気に駆け抜けたりんさんに心からの賛辞を贈りたい。2024/06/27